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瑞筆 ー スイスで綴るエッセイ 2004年編
日ごろの生活の中でふと心をよぎったこと、とりとめのない思いなどをそのまま書き綴りました。
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2004年10月26日
イタリア人がうらやましい ― と思ったことがこれまでに2回ある。
一度目は、もう10年くらい前のこと。夫と二人で、週一回、銀細工のコースに通っていた。そこにイタリア人の中年男性が一人いた。みんなもう長くこのコースに通っている人たちばかりで、何も知らない初心者は私たちだけだったと思う。このイタリア人の彼はもうかなりのベテランのようで、あちこちで人の手伝いばかりしていて、自分の作品はほとんど作っていなかったんじゃなかったかな。見たことがないような気がする。彼がいないと、作業室がし~んとしている。彼が登場すると、いきなり雰囲気がラテン系に早変わりする。大きな声で、ドイツ語の間違いなんか「知ったことか」って感じで、とにかくペラペラペラペラ。このとき思った。 「彼の10分の1でいい、あの気さくさが欲しい」
2回目はホヤホヤの今日のこと。あるスーパーで柿を選んでいた。そう!うれしいことに、数年前からスイスでも柿(やっぱりKAKIという)がお目見えするようになっている。出荷元はイスラエルやイタリア。というわけで、今度はイタリア人の女性が登場。こちらもやっぱり中年。小柄の、いかにもイタリア人らしいおばちゃんだった。
スイスで売られている柿には2種類あって、ブヨブヨに熟した柿とナイフで皮をむくことができる固めの柿。日本では同じ柿をブヨブヨに熟すまで待つのだと思うが、私の父はこれが好きだった。でも、私の好みは固め。そういう中から選んでいたら、脇から「Nein, nein(ダメ、ダメ、そんなの)」という声がする。そして、その声の主はブヨブヨ柿のパックを手に取って「こっちがいいのよ!そっちはダメ!」というではないか。やっぱりブロークンジャーマンで。私も対抗して「でも、私、固いのが好きなの」「いや、こっちの方がね、栄養満点なのよ。1個食べれば、卵1個分とおんなじ栄養を取れるんだから!イタリアじゃあ、もうこればっかり山のように食べるのよ」私はこの思いがけない会話にうれしくなってニタニタ笑いながら、それでもやっぱり固めを離さない。
こんなことはスイスでは稀である。みんな、まじめな顔をしてさっさと買い物を済ませていく。だから思った。 「私もこんな明朗さが欲しい」 ことばが多少できなくても、知らない人にも気楽に話しかける。この土地では、かなりむずかしいことである。
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2004年10月27日
夜、なかなか寝つけないとき、バスの中でボーっと景色を見ているとき、あるいは翻訳をしているのだけれどなかなか集中できないときなど、ふと、いろんなことが頭の中へ飛来してくる。いま、ここにコンピュータがあれば(ペンと書けないところが哀しい)、こんなふうにまとめてみたいのになあ、などと思うことも多い。
いまもドイツ語の試験用の本『アデナウアの時代』を読みながら、集中できずに、ふと、こんな思いにとらわれた。目の前ではコンピュータがうなっているので、我慢できずに読書を中断。
なぜかわからないが、いや、きっと今日が義母の誕生日で、さっきお祝いの電話を入れたせいかもしれない。
親を二親とも亡くしてしまったら―。
父が亡くなってから、もう10年以上が経つ。母は元気だ。母の母親、祖母も100歳近くだが、元気なようすである。いまは母がいるから、私はなんとなく彼女に頼れる。それほどしょっちゅう連絡を取るわけではないし、日ごろの心の支えになってくれているのは夫の方だが、親がいなくなると、心の奥底を支えてくれている柱がポッキリと折れてしまうような、自分のアイデンティティすら怪しくなってしまうような、なんだか世界が心もとなくなってしまうような、そんな気がしたのだ。子どものときと同じように甘えられる人がいなくなってしまう。自分をこの世に送り出してくれた人がいなくなってしまう。だから、自分の存在までが危うくなりそうなちょっとした危機感みたいなものを感じてしまったのだろうか。
いままで、そんなことはあまり考えなかったけれど、たった数分前、母親の存在を大きく感じた。その母も、まだ彼女の母親が健在であることで、どこかまだ安心していられるところがあるのだろうか。
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2004年11月14日
今日は久しぶりに家族3人(正しくは2人と1匹)で散歩に出かけた。 長男モグリ(オスネコ)のスケジュール(彼は好きなときに好きなだけ出歩ける。夜遊び大好き)と私たちが家にいる時間がなかなか合わなかったため、もう2、3ヶ月もご無沙汰していたのである。
私たちが外出準備に取り掛かると、モグリは寝ていてもサッと起き出してドアの前で待ち構えている。「違うのよ、これから買い物に行くの。散歩じゃないんだから」と言っても、外に出るとうれしそうに、でもちょっと半信半疑でしっぽをブルンブルンと振りながらついてくる。そして、私たちが車の方に行くのを見ると、がっかりしてその場にしゃがみ込んでしまう。車を通り過ぎると、あるいは車の前で違う方向に進むと、「あっ、これは散歩だ!ひゃっほぉ~い」と喜び勇んで駆け出す。かわいい奴です。
そう、今日は久しぶりに近くの森へ散歩に行ったのである。犬を連れている人に会いませんように…。いつも心配しながらも、これまでは何ごともなく過ぎた。今日は、犬を連れている人には会わなかったが、これまで経験したことのない飼い犬の吼え声に驚かされた。それも2匹。犬は道路へは出てこなかったが、モグリは遊歩道を外れて一目散に森の中へ。結局、迂回をしてそのままアパートの裏手の、いつも行く芝生の広場や誰も使わない(と思う)子どもの遊び場でしばしモグリと遊んでから帰宅。北風も強かったので、30分の散歩で終わってしまった。でも、やっと義務を果たしたって感じかな。モグリはいま、幸せそうに私の机の下で眠っている。
まだ外に出られなかったころのモグリ(ベランダの隙間から外を覗く)。
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2004年11月17日
またまたモグリ編。
モグリは外から帰ってくるとよく「ただいまぁ」と言う(いま、そう言いながら帰ってきたところ)。もちろん、私たちの耳には「ミャウ」としか聞こえない。 でもモグリは、どうやら出かけるときや帰ってきたときに声をかける合う私たちを見習っているよう。モグリにもちゃんといつも声をかける。だからモグリは、出かける前にも「ちょっと散歩してくるね」と言い残していくことがある。
一人で外に出るようになってまだ間もないころ、モグリはよく「ミャウミャウ」を連発させながら帰ってきた。きっと、外であった出来事を私たちに報告していたんだと思う。だから私は、「うんうん、それで?」なんて聞いていた。でも、最近はたいてい「ただいま」だけだ。もうたいていのことには驚かなくなったらしい。
モグリは座ったままの抱っこはあまり好きではないが、寝ているときには何をやってもほとんど許してくれる。それで昨日の夕方、ふざけてモグリのしっぽを噛んだ。そしたら、夜中、寝ているときに足を噛まれた(か、爪をちょっと出してガバッとしがみついたのかもしれない)。仕返しされたのかな。
私はモグリのことを息子だとか何とか言っているけれど、モグリに服を着せたり、モグリをペット用美容院に連れて行ったりなんてことはしない。モグリは立派な猫だ。人間の習慣を押しつけたくない。外で木登りをし、ネズミや鳥を捕らえ、自分の体は自分で舐めて清潔に保つ(濡れて帰ってきたときには、タオルで拭いてあげるけれど)。これが私たちのモグリ。
ぶどうの葉っぱの間から…。2歳くらい。
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2004年11月27日
11月18日、夫の妹が男の子を産んだ。初めての出産である。翌日、病院にお見舞いに行ったときに、「予定日よりだいぶん早かったね。12月の初めだったよね、確か」と聞くと、そばにいた彼女の夫と顔を見合わせて苦笑したあと、「実はねー」。
出産間際になると ー とくに初産の場合 ー 、「まだかまだか」という問い合わせが激しくてやりきれないという話を聞いたので、周りにはわざと本当の予定日より遅めの日にちを知らせたのだと言う。それを聞いたとき、身内の私たちにまで本当のことを言ってくれないなんて、なんて水臭いんだろうと思った。正直、ちょっとがっかりした。でも、どこで話が漏れるかわからないから、やっぱり徹底しておくに越したことはないのだろう。
それにしても、出産が予定日より大幅に遅れているのならともかく、本人も初産を控えて緊張しているところにみんながみんな、電話をして尋ねるなんてー。ちょっとビックリ。
この話を聞いて、早速日本人の友人に聞いてみた。やっぱりみんな、本人から連絡がくるまで待つという。私がいままでそうしていたように。 昨日は娘が2人いる隣の女性に会ったので、彼女にもどれどれと聞いてみた。彼女いわく、「予定日を遅めに知らせる人は多いらしいよ」でも、彼女はそれをしなかった。そしたら案の定、一人目の出産の前は電話攻めでまいったそうだ。 ふーん、スイスってそうなんだ。15年目にして知った新たな事実。
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2004年12月29日
義理の妹がママになった。仲のいい友人がもうすぐ結婚する。夫の再就職が決まった。 と、楽しいニュースに喜び、クリスマス気分に浮かれていたところに、東南アジアを襲った津波のニュース。 ―今度は日本じゃないけど、やっぱりアジアか―と思うだけではすまなかったこの被害の大きさ。テレビのニュースでも新聞でも、目に映るのは無数の死者と荒れ果てたリゾートパラダイスばかり。映像がなければ、遠く離れた場所にいる私たちには、この被害の規模は想像不可能に違いない。悲しい風景に心は曇るばかりだ。こういう風景を食卓で見ていていいものかどうか、私にはわからない。見るたびに、目頭が熱くなる。胸にズキンと痛みが走る。
事故やテロなどで大勢の犠牲者が出ると、マスコミは先を争うようにその事件を報道する。そういう時、夫がよく言うのが、「どうして数が多いとそんなに騒ぐの。死者が一人でも同じじゃないか」そう、人の命の重みはみな同じ。一人だけが亡くなっても、その人の身内や知人にとっては限りなく悲しい。
今回のように多くの国で多国籍の人々が何万人と犠牲になっているのを「見る」と、その無残な力の巨大さに圧倒されて悲しくなる。いろんな環境にいた人々が、あっという間に、きっと何がなにやらわからないまま大量の水に飲み込まれて、数時間後には硬い死体となってあちらにもこちらにも横たわっているのを「見る」と、同じ「人」に属する一人として、「こんなことがあっていいのか」という信じられない思いに胸を突かれて悲しくなる。無数の犠牲者の無念を感じるのかもしれない。
ところで、タイで被害を免れたスウェーデンのある男性が、「人類はまだ自然をコントロールできないでいる」と言っているのを新聞で読んだ。彼は本気でそんな日が来ると思っているのだろうか。
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