|
瑞筆 ー スイスで綴るエッセイ 2005年1月~6月編
日ごろの生活の中でふと心をよぎったこと、とりとめのない思いなどをそのまま書き綴りました。
|
|
2005年1月2日
太極拳を始めたのは、このアパートに引っ越してきてから。だから、7年前。最近になって、ようやく太極拳の何たるかがわかってきた、と自分では思っている。翻訳は10年くらいかな。やっぱり7~8年経って、ようやく翻訳の何たるかがわかったような気がした。でも、これはわかっただけで、それに到達するには全然至っていない。いつになったらその日が来るのか、私の人生が終わるまでには間に合わないんじゃないかという気がしている。
人の人生も同じじゃないのかな、と最近思う。40歳を過ぎて、ようやく人としての生き方、あるいは自分の生き方がわかってきたような気がする。それが本当だとして、それをなんとなく理解するまでに40年もかかった。それを今度、自分の中で消化して、人の人生というもの、自分の一生というものに納得する。納得できるようになった頃には、もうそろそろ人生にさよならをしなければならない。自分が得たものを、やっとこれから次の世代にきちんと伝えられるようになったかなと思うときには、もう最後の一呼吸をしているのかもしれない。そう思うと、人の人生って本当に短い。私は、翻訳を続けられるのだったら、100歳までも200歳までも生きたいと思う。これが私の生き方みたい。200歳まで翻訳を続けたら、少しは素敵な翻訳ができるようになっているんじゃないかしら。それとも、もう頭が時代遅れになっているかな。
多分、小学生の頃。姉と二人で死んだらどう処理して欲しいか、ということを話していた。私は絶対「火葬」。その頃、「うしろの百太郎」とかで怖い話をたくさん読んでいた。土の中で生き返って、「もう一度死ぬ」なんてごめんだもの。姉は、ミイラにして、なんて言っていた。それがお正月だったので、そばにいた母から「お正月早々何言ってんの!」と怒られた。
ここスイスでは、お年始もお雑煮も、御節も隠し芸大会も何もない。今日も普通の日曜日みたいだ。でも、母がこのエッセイをいま読んだら、やっぱりちょっと怒るかもしれないなあ。「もっとおめでたい話を書きなさいよ!」なんて。
|
|
2005年1月30日
去年辺りから日本人の人とたくさん知り合うようになった。15年もスイスに住んでいて今ごろ何言ってんの、と言われるかもしれないが、本当にそうなのだ。スイスに来た当時はドイツ語を勉強しなきゃとやっきになっていて、どちらかというと日本人を避けていたので、ときどき会っておしゃべりをする人を数えるといまでも10本の指で収まってしまう。でも、これだけいたら十分かな、やっぱり。チューリヒ近辺に住んでいるからこそ日本の方と知り合うチャンスも多いけれど、田舎の方に行くとなかなかそうはいかないらしいし。
スイスの日本人社会は狭い。日本と違うところは、苗字ではなくて「千早さん」とすぐに名前で呼ぶようになること。それだけ仲間意識も強いんだと思う。私がこれまでに知り合ってきた人は、運がいいことにみんな一緒にいて楽しい人ばかり。外国で暮らしている分、芯はみんなしっかりしている。物事もどちらかというとはっきりと言うかな。「スイスに行ったら、日本語はもう話せないかも」なんて思いながらやってきたから、拍子抜けしたところはあるけれど、日本人の友人には知らず知らずのうちに精神的にすごく助けられているんだと思う。
最近知り合った方々は、ほとんど仕事を通じて。その中で二三度、翻訳の校正をやったりやってもらったりということがあった。お互い知らない者同士なので、まずはメールで簡単な自己紹介をするのだが、これから当分一緒に仕事をするのだから、本来なら電話できちんと自己紹介をするべきである。であるのだけれど、私にはその勇気がない。もともと電話があまり好きではない上に、校正というちょっと微妙な仕事となると、相手がどんな人なのやら怖くて電話できないのだ。でも、これまではいつもありがたいことに、いや恥ずかしいことにパートナーの方から電話をしてくださった。話せばなんてことはない、みんなフツーの人である。誰も「何よ、あんな直し方することないでしょう!」とか「あなたの訳文、使い物になりませんよ」なんてこと言わない。怖いことなんて全然ない。電話でどんどん話が弾む。
翻訳をやる人の中には、自分の訳に手を加えられるのを嫌がる人が多いーということをよく聞く。その気持ちはわかるが、自分で書いた文章というのは絶対に客観的に見ることができないから、とくに原文に引きずられやすい翻訳には校正は必要だと思う。でも、その校正も決して簡単な仕事ではない。私がこれまで感じてきたことは、翻訳も通訳も、そしておそらく校正に対しても、あまりにも軽く見すぎている人が多いんじゃないか、ということ。少し語学ができれば誰にでもできる作業だと思っている人が多いーそんな気がする。これは日本人だけには限らない。たぶん、世界中がそうなんだと思う。翻訳も通訳も校正も、全部切り離された仕事でそれぞれまったく別の能力を要する。私が知り合った人は、みんなそれを理解している。運が良かったのかな。
|
|
2005年2月2日
我が家には事務椅子が三台ある。 夫の事務机の前に一台、私の事務机の前に一台、そして私の机の右横にもう一台。これは、モグリ専用の椅子である。彼はこの椅子の上で大きくなった。小さい頃は、翻訳をしている私のひざの上でよく眠っていた。大きくなって、私のひざに納まらなくなってからはもうほとんど上ってこない。ちょっと、いや、だいぶん寂しい…。
ずっと使っていた椅子は背中にもあんまりよくないと、今年になって夫が新しい事務椅子を買ってくれた。古いのは処分しようというのだが、夕方から朝まで、夜遊びも交えながらこの椅子の上でずっと眠っているモグリからそれを取り上げてしまうのはつらい。それに、夕方になると必ず、「彼の」椅子に座っている私をうらやましそうに見上げるので、私はついついその椅子をモグリに譲り、自分は食卓から椅子を運んできてそれに座ることが多かった。それだったら、古い椅子はもうすっかりモグリに譲ってしまおう。そうすれば、それぞれみんながちゃんと事務椅子に座れる。こうしていまでは、夕方になるとみんながそれぞれ満足げに自分の椅子に座って何かしらやっている。正しい判断だった、うん。
ちなみにモグリは、昼間は私たちのベッドの上で、午後は事務椅子の上で、そして夕方の散歩の後は私たちが迎えに行くまで数時間アパートの踊り場でそれぞれ過ごす。廊下に出してある隣の娘のベビーカーの中で眠るのも大好きだ(ごめんね、勝手にお邪魔して)。最近は冷え込む天気のせいか、先週受けさせた予防接種のせいか、食欲がなくて寝てばかり。それでも週末は一緒に散歩に行って元気に跳ね回っていたから、大病を病んでいるわけではないと思うけれど、やっぱりちょっと心配。出歩いてばかりだと欲求不満、寝てばかりだと心配、どっちにしても人間さまは満足しないのだろうけど。
こんな頃もあったのよね……
|
|
2005年2月10日
音のない世界ってどんななんだろう。ろうの人々と知り合ってもう2~3年が経つというのに、私にはまだ想像ができない。手話の練習をしていて、両手をぴしゃりと合わせたときにふとそう思った。
私たち健聴者は、たとえば勢いをつけて右手と左手を合わせれば「パン」と音がすることを知っている。それで両手がぶつかったことを感覚的にも知る。でも、ろうの人にはそれが聞こえない。両手の触感と目で見るだけだ。
ろう者と話をしていても、彼らは口読できるので、ゆっくり、そしてはっきりと標準ドイツ語を話せば、会話にはほとんど支障がない。私が知っているろうの人の中には、驚くほど標準ドイツ語がうまい人もいる。だから、一緒にいても彼らの聴力障害を意識することはあまりない。
ろうは見えない障害だ。手話で会話しながら歩いてでもいない限り、その人がろうであるかどうかなんて見た目には絶対にわからない。
話は変わるが、スイスのスーパーでは、レジに立つとキャッシャーのお姉さんが必ずまず「こんにちは」と声をかけてくれる。お金を支払うと「ありがとうございました。よい一日を」などと言ってくれる。だから、お客さんの方も「こんにちは」とか「ありがとうございました」と挨拶をする。でも、中には一言も発しない人もいる。以前はそんな人を見かけると「なんだ、こいつ。無礼な奴だ」なんてすぐ思ってしまったが、手話を勉強し出してからは、世の中にはどんな目に見えない障害をもっている人がいるかわからないということに気がつき、一言も発しない人に対しても別に腹を立てることはなくなった。
手話は楽しい。もっと手話で会話ができるようになりたい。でも、ほかの言語と同じで、使うことがないとあまり上達しない。知り合いのろうの人たちはみんな忙しくて、私なんかにあまりかまってくれない。だけど、明日は久しぶりに難聴の友人と映画を見に行く約束をした。80パーセント聴力を失っている女性ドラマーの映画、「touch the sound」だ。ずっと見たくて、でもなかなかチャンスがなかったから、彼女が誘ってくれてうれしい。口と手を使ったおしゃべりも楽しんでこようっと。
|
|
2005年2月14日
「touch the sound」 は超おススメ!パーカッショニストのEvelynが奏でる音と幻想的な映像あるいは超現実的な映像が織り成すこの映画は、それ自体が一つの芸術作品といっていいほど。難聴でほとんど音を聞き取れなかった友人は映像のすばらしさにより魅かれていたが、私にはどちらも甲乙つけがたいほど印象的だった。日本の富士市などでも撮影が行われていて、その様子もなかなか興味深い。大和太鼓との競演のシーン、映画館で唯一の日本人だった私は(50人も入れないくらいの小さな映画館)思わず胸を張りたくなった。やっぱり、かっこいい。日本には世界に誇れる伝統芸術がたくさんある。細々とでもいいから、いつまでも受け継がれていって欲しい。
さて、今朝は美容院へ行ってきた。私の行きつけの美容院は、なんと5つ星ホテルの中にある。なんていうと、すっごくおしゃれな人間だと思われてしまうかもしれないが、なんのことはない、「私の」美容師さんに犬みたいについていったらここに行き着いたのである。彼女は、私がスイスで最初に暮らしたアパートの隣人さん。年はけっこう離れているのだが、夫婦して仲良くしてくれている。頼れるお姉さんといったところか。
5つ星美容院はやっぱり高い。だから私は髪の毛がぼうぼうになって、もうこれ以上は我慢できない、という頃になってようやく出向く。でも高級美容院だから、出かける前にブローしたりして一応なんとか形をつけていく。美容院へ行くのになんだかヘン、と思いながら。
お客さんの中にはボディーガードつきのお方やチップを100フラン(8500円くらい)もくれる人もいるという。たまには世界的な有名人も来るらしい。残念ながら、私はまだそういうかたがたにお目にかかったことがない。
席に着くと、まず見習いの若くてかわいい女の子がシャンプーをしてくれる。日本みたいに「かゆいところはござませんか」とは聞いてくれないが、ここの見習いの人はみんなシャンプーマッサージがうまい。今日も朝からいい気分に浸らせてもらった。極楽極楽。全身マッサージをしてもらってのどをゴロゴロいわせているモグリの気分である。それからお飲み物のサービス。この辺はやっぱり5つ星かな。あとは大雑把な注文だけして、もう長い付き合いのバーバラにおまかせ。だいたいいつも満足して帰ってくる。ああ、やっと人前に出られるような頭になった。
|
|
2005年2月20日
またまたモグリの話題で申し訳ないが、愛息子のことはいくらでも話したいのでご勘弁を。
彼には兄貴というか親父というか、そういう存在の猫がいる。隣の一家が飼っているシュールだ。シュールは私たちが引っ越してくる前からこのアパートに出入りしていた。モグリを飼う前は、私たちもシュールをかわいがっていた―というと、いまはかわいがっていないように聞こえるが、事実、前よりはかわいさが減っている。シュールはちょっと特別な猫で、のどやお腹をさすると怒って引っかく。だから、あんまり一緒に遊べない。それに、モグリ専用のドアからはシュールも勝手に出入りするので、モグリのえさもパクパクと食べられてしまう。だから、えさ目当てにやってくるときにはこっちもシュールを追い出してしまうのである。
というふうに、シュールと私たちは時々敵対しているのだか、シュールはモグリに対して「こいつは俺が守ってやらにゃ」という意識をもっているようである。モグリはちょっと気が弱い。どちらかというと対立を避けるタイプ。どうやら両親からの遺伝らしい。7歳くらい年上でモグリの倍くらい大きいシュールは、人間や犬に対しておどおどしているところがある反面、ほかの猫とは勇ましく戦う。うちも自分の縄張りだと思っているところがあるから、ほかの猫が様子を伺いに来ると、モグリではなくてシュールがやっつけにいく。モグリは隅っこで小さくなって「ありがと、ありがと」と眺めているだけだ。
一度、それでもモグリが誰かからケンカを売られて、腰の辺りに傷を負って帰ってきたことがある。化膿がひどくなったので、獣医さんのところへ連れて行って手術をしてもらった。麻酔が切れたころに迎えに行ったが、まだフラフラしている。やたらと外へ出たがるので、これはおトイレかもと思い、夫の付き添いで出て行った。フラフラしているから、用が済んだらすぐに戻ってこなきゃいけないんだけど、未練がましそうにしている。見かねた夫がモグリを抱き上げ、無理やり連れ戻そうとすると「フギャー、ンニャー」と悲鳴を上げて抵抗する。このとき、シュールがたまたまそばにいた。モグリの哀れな声を聞いたシュールは、なんと、ぴょ~んと高く跳ね上がって「ギャオー」と夫に飛びかかるではないか。「俺の弟分にいったいなにしやがるんだ!いやがってんじゃねーか」って感じだ。私たちはびっくりするやら、うれしいやら。「そんなにまでモグリのことを愛してくれてありがとう」それからしばらくは、私たちもシュールにやさしかったなあ。
バルコニーの植え込みで仲良く日光浴。左がシュール。
|
|
2005年3月2日
昨日の3月1日は、30年ぶりの記録的な寒さだったのだそうだ。確かに寒い。ここ数日、北風も強かった。午後、自転車に乗って買い物に行くと、耳が千切れそうに痛い。まるで日本の冬のようだ。スイスの冬、気温は低いが、強い風が吹くことはあまりないので、体感温度は日本の方が低いくらいである。だから、自転車に乗って冷たい風に顔をさらしていると、高校時代に冬も夏も自転車で通学していた頃を思い出した。もっと小さかった頃、吹きすさぶ北風の中、田舎の狭い道を自転車で走っていた頃を思い出した。私が自転車で買い物に行くというと、夫はあきれた顔をするが、「あの頃とおんなじ!こんな北風なんかへっちゃらだ」空が曇っていたら歩いていたかもしれないが、明るい青空だし、道路も凍っていそうにないし、自転車で大丈夫。
午後、ベッドの上で眠っていたモグリが突然顔を上げて、クンクン、クンクン。明るい日差しの中で、目を細めながら少し開いた窓の方へ鼻先を向けている。 「春が来たんだ!」 モグリは春を嗅ぎ取った。まだ雪が積もっているけれど、気温は零下が続いているけれど、春は確実に近づいている。モグリはそれを知っている。今度外へ出たら、木々の枝をよく観察してみようかな。
|
|
2005年3月15日
今日は暖かい。急に春がやってきた。
昼食に帰ってきた夫はもう我慢できず、昼食の後にバルコニーへ出て日光浴。彼は「浴」と名のつくものが大好きなのだ。私も一仕事終えてからデッキ・チェアーに寝そべり、読書。そして…居眠り。
春になると、毎年見られる(といっても自分の姿は自分では見えないが)光景である。冬の間中不足していた太陽の光を吸収しなくっちゃと、折を見てはバルコニーに出て翻訳の校正をしたり読書をしたり。机の前に座っている間はいいが、デッキ・チェアーに寝そべってしまうと、ぽかぽかとした陽気に包まれてだんだんと脳みそが働かなくなる。それと比例してまぶたも重力に勝てなくなってくる。はっと気がつくと、半時間や1時間が経っている。「ああ、またやっちゃった…」まあ、いいや、やれるときにぼ~っとしておこう。
手話のコースもドイツ語のコースも再び始まり、また少し忙しくなってきた。スイスには2月にスキー休暇というものがあって、どこも2週間くらい休みになる。ドイツ語のほうは1月初旬から3月初旬まで休みだった。さあて、これからまた宿題に忙しくなる。ホームページも更新したいし、またそろ気ぜわしくなってきた。うかうか居眠りなんかしていられない…?
|
|
2005年3月18日
語学ってむずかしい。私にはやっぱり語学の才能はないようだ(涙)。 水曜日は手話、木曜日はドイツ語のコースに通っているのだが、今週はどちらともため息混じりで帰宅。 手話の授業中、先生のみごとな手話を見ていると、「ふんふん、なるほど」と思うのだが、いざ自分でやるとなるとなんだか全然違う。今さら言うことじゃないかもしれないが、少し会話ができるようになったからだろうか、ボキャブラリーの少なさや自分の手のあいまいな動きがにくらしい。
ボキャブラリーの少なさといえばドイツ語も。受身的なボキャブラリー(読んだり聞いたりしたときにはわかる単語)はそうでもないけれど、能動的な方(自分で書いたりしゃべったりできる単語)がまだまだ少ない。そして、増えない。努力が足りない!といわれればそれまでかもしれないが、なんだか限界が見えてきた感じだ。ため息…。
…という今日この頃だが、それでも一つ、うれしいことがあった。 昨日、ドイツ語のコースに行くのに近所のバス停で新聞を読みながらバスを待っていた。そこへ反対側のバスがやってきて、女性が一人バスから降りた。新聞を読む目の端に映る女性は、なぜか私の方へ近づいてくる。この先にはもう歩道はないのに。 「すみません、こんな風に突然話しかけたりして…」 新聞から目を上げると、同年代くらいの女性がにこやかに立っている。 「あなたとネコが一緒に散歩しているのをときどき見かけて、とってもかわいいなあっていつも思ってたんです」 あらら…。モグリファンがここにもいた。 「私もネコが大好きなんですけど、いまは飼えなくて…。あなたたちが散歩に来るのを窓から見つけると、いつも夫を呼ぶんですよ。『またみんなで散歩してるわ』って」 「じゃあ、この次、私たちを見つけたら外へ出てきてくださいよ。一緒に散歩しましょう」
他愛ない会話だが、とってもうれしかった。知らない人とこんな風におしゃべりできたことが、心をほんわかとさせてくれた。バスに乗った私はまだしばらくにやにやしていた。これもモグリのおかげよ。私たちよりずっと交際範囲が広いんだから。そのお話もまたいずれ。
|
|
2005年3月27日
私たち夫婦には結婚記念日が二回ある。 私のふるさとの小さな神社で式を挙げた日とスイスの市役所で署名をした日だ。その記念日ももうすでに15回を数えた。
でも、二人ともそういうことには無頓着で、次の日になってから「あ、昨日は結婚記念日だったね」と気づくことも少なくない。15回目の記念日もほとんどそういう感じで、私はドイツ語のコースで夜は留守。夫が一人で留守番をしているところに義理の母から「おめでとう!」と電話がかかった。
時間は飛んで、おとといのこと。イースター連休に入り、夫の家族を呼んでうちで夕食。義理の母はいつもどおり、何やらいっぱい抱え込んでやってきた。ウサギのパンをうちと義理の妹家族に一つずつ。「初めて焼いたのよ。こっちは首が取れちゃった。つまようじで止めてあるんだ」なんてかわいい。うちにはもう一つプレゼントがあった。「これは結婚記念日のお祝いよ。15回目って大切な記念日だからね」イースター用のチョコレートの詰め合わせだ。「下にまだ別のものが入っているからね」と注意がつく。彼女は現金をプレゼントするときにそれでデコレーションをしたりする。昔、お札がリボン代わりになっているのに気がつかず、捨ててしまいそうになったことがある。友人の赤ちゃんがたまたま見つけてくれた。冷や汗…。
本人たちより結婚記念日を大事に思ってくれる義理の母。その気持ちがとてもうれしい。普段はそれほどしょっちゅう連絡を取っているわけでもない。でも、夫ひとりを頼ってはるばる遠い東の国からやってきた娘(過去形にすべき?)のことを気遣ってくれているのがよくわかる。つかず離れず、ちょうどいい距離感だ。口の悪い夫が私をののしると、義理の母も妹も真剣になって怒ってくれる。涙が出るほどありがたい。
イースターといえばスイセン。緑のじゅうたんによく映える。
|
|
2005年4月5日
昨日の夜はイスラエルの盲聾シアター「Nalaga'at(ナラガアット、ヘブライ語で「触ってみて」という意味)」のチューリヒ公演を観てきた。チケットはすぐに完売となり、日曜日には急きょ追加公演を行ったという評判の高いシアターである。33歳から54歳までの男女が混じった12人のメンバーは、ほぼ全員が盲聾(アッシャー症候群)である。それなのに、通訳の助けを借りて、まるで耳が聞こえ、目が見え、ほかの人の動きがわかっているかのような芝居をしてみせた。
私は夫と難聴の友人の3人で出かけた。友人を待っているとき、ろうの知り合いもちらほらと現れ、手を振って「元気?」と挨拶を交わす。一、二度、顔を合わせたくらいだが、「あ、この人、知ってる」と思うと、気軽に挨拶をしてくれる。私の手話の先生も彼氏(彼はホモセクシャルなのだ)と一緒に来ているはずなんだけど、ホールはもう人の頭でいっぱい。残念ながら、会えなかった。彼氏と知り合いになるのを楽しみにしていたのに。そして、友人も私の先生と知り合えるのを楽しみにしていたのに。人ごみの中、知人・友人を探す私たちを尻目に、夫はちょっと退屈そう。ごめんね。
私たちの席はバルコニーの最後列。チケットの手配が遅かったので。まさか、こんなに人気があるとは思わなかったもの。私たちにはそれでもあまり不都合はなかったが、難聴の彼女は手話通訳の唇が読み切れず、ちょっと残念そうだった。
さて、この芝居「Light is heard in zig zag」ではそれぞれの俳優が自分の夢を演じる。「夢」。誰もがきっともっているにちがいない。私の夢は、翻訳で食べていけるようになること。ほぼ叶えられそうにない夢だけど、夢だからいいんだもん。彼らの夢は、買い物に行ってラベルの小さな字を読むこと、バスの運転手になること、お金持ちになって飛び切りの美女を飛び切りのレストランに誘うこと、ある朝目覚めたら目が見えていること、軍隊に入ること、有名な女優になること、などなど。テレビを見る、ラジオを聴く、新聞を読む、これらもすべて彼らにとっては夢である。いろんな人と知り合って、いろんなことをしゃべる。これもかなり難しい。そう、私たちがふだん何気なしにやっていることは、彼らにはほとんど一人でできない、あるいはまったく不可能なことばかりなのだ。彼らは「見えて聞こえる」私たちにそんな世界を垣間見せてくれた。自分たちには聞こえず、見えないのに。一番悔しいのは、そんな姿を世界におよそ1万人いるという同じ障害をもったほかの仲間に見てもらえないことかもしれない。
舞台にもっと近い席だったら、きっと彼らの表情も楽しめたに違いない。何年という時間をかけて練習を重ねてきた彼らの芝居は、すでにアメリカで大きな成功を収めている。ヨーロッパではスイスが初舞台だ。舞台監督は20歳のときにイスラエルに移住したスイス生まれの女性。この芝居が彼女の人生を変えたという。日本でも、ぜひぜひ公演をしてもらいたい。
|
|
2005年4月8日
今朝は雨。9時から始まる太極拳へ久しぶりに徒歩で出かけた。自転車だと10分くらいだが、徒歩だと30分近くかかる。よっぽど天気が悪かったり寒かったりする以外はいつも自転車。時間を節約したいからだけど、本当なら歩くスピードが一番好きである。
この時期は天気が不安定で雨も多い。そうすると、歩道にはびょ~んと長いミミズがちらばる。植え込みの近くには日本の4分の1くらいしかない小さなカタツムリも出てくる。これらの小さな生命を踏み潰さないように、気をつけて歩を進める。
潅木にも小さな緑が点々と明かりを灯し始め、桜の木の前では甘い香りがほのかに漂う。大好きな小川のほとりの砂利道を歩く。傾斜にはすずらんのような可憐な花と韮を太く短くしたようなBärlauchという野生の食材が茂っている。でも、あんまりきょろきょろしていると、うっかりミミズを踏んでしまいそう。気をつけなくっちゃ。
歩きながらだといろんなものが観察できる。そしてまた、いろんな思いが飛来する。こういう時間をもっと大切にしたいが、ついつい自転車でささっと移動してしまう。机に向かう時間を少しでも多くしたいがために。時間というのは、どうしてこうも早く過ぎたがるのか。
以前は、ずいぶん暖かくならないと自転車を使うことはなかった。今では冬でもへっちゃら。 3月のぽかぽか陽気の昼、歩道を歩いていると頭上から「ポキポキ」という音が降ってくる。最初は何かわからなかった。どうやら、まつぼっくりが開く音のよう。3~4年前まで聞いたことがなかった。初めてそうとわかったときは感動した。自転車だとこの音も聞こえないのよね。
|
|
2005年4月11日
先週末、夫が浴室の壁をスカイブルーに塗り替えてくれた。 天井にカビが生えてきたこともあり、ずっと何とかしたいと思っていたところにペンキの広告を見つけ、「これだ!」いまのペンキは4時間経てばすっかり乾くし、その広告を出していたセンターへ行くと覆い用のテープつきビニールから容器まで必要なものは何でも揃っているらしく、夫は用具をひと揃えまるまる買ってきた。
塗り替えるのは天井とその下20センチくらいの四方の壁をぐるり。壁の下に張られているタイルをテープつきビニールで覆い、洗面台やバスタブも大きなビニールで覆う。タイルの床には新聞を広げる。そしていよいよ刷毛をペンキの中へちゃぽん。広い面は大小のローラーでがんがん塗っていく。思ったよりはかどる。
…とはいっても、これは全部、夫が一人でやってくれた。私にはときどき「ちょっと~」とお呼びがかかる程度。下手に手伝うとケンカになりかねないので、好きにやらせておくのが一番。2、3時間後にもう一度上塗りをして、はい出来上がり。しろうととは思えないくらいのデキだ。が、本人は「あ、ここがまだ白い、あ、ここも」と気になる箇所が次から次へ出てくるよう。
色はちょっと濃すぎて、正直、100パーセント満足というわけにはいかなかった。もっと淡いブルーがよかったんだけどなあ。でも、なんだか海の中にいるみたい。これはこれでよしとしよう。でも彼は、また塗らなくっちゃ、とやる気マンマン。お任せします、ハイ。
お疲れさまでした。
|
|
2005年4月13日
手話を習い出してしばらくすると、どうしても手話通訳の教育を受けたくなった。もっともっと手話が上手になりたかったし、聴覚障害者の背景も勉強できると思ったからだ。でも、4年間続くこの教育は3年だか4年だかに一度始まるだけ。次のコース開始は2006年の秋である。無事教育を終えたら、私はもう45歳を過ぎている。
とにかく、2年半かけて条件の一つである手話コースをすべて終えた。あとは会話コースに通って入試までほそぼそと手話を続けることができるが、これはやめることにした。毎週毎週、水曜日と木曜日の夜、留守にするのに少し疲れたこともある。夕食の準備を前もってやっていくのって、けっこう時間の制限を受けるのだ。毎日すごく忙しくしている人なら、こんなこと、なんてことないのだろうが、もう老人ホームにでもいるような生活に慣れてしまった私はちょっとうんざり。とりあえずは、今年の11月まで続くドイツ語のコースと5月から始まるコミュニケーション・アシスタントのコースだけにしておくつもり。
ーと決心したところに、突然舞い込んだ情報があった。4月の後半から今年いっぱいまで、手話通訳を目指す人を対象に特別手話コースが始まるというのだ。でも、それはドイツ語コースがある木曜の夜。ええ~っ。いじわる~。 ほんのちょっとの間、悩んだ。でも、やっぱりいまはドイツ語を再勉強する時期なのだと思う。手話の方は、自分でもやろうと思えばまだできる。通訳というからには、きちんとしたドイツ語が話せなければ、それこそお話にならない。ドイツ語と日本語の通訳なら、まだ「外国人のドイツ語」で許してもらえるかもしれないけれど、聴覚障害者と健聴者の間に立ったら、そんな悠長なことは言ってられないのだから。
どちらにしても、手話通訳コースの入試にはドイツ語の試験もあるし、前回の入試には定員30人のところになんと300人もの応募があったそうだ。思わず「ひえ~っ」と叫んでしまった。まさか、そんなに希望者が多いとは…。それじゃあ、私なんかダメだろうな、と最近はちょっとひるんでいる。スイスドイツ語ができなきゃダメ、という条件も、はっきりとは書かれていないけれどあるようだし。
そんなこんなで3年間、いろいろと考えているうちに、いまではとりあえず入試だけは受けてみて、ダメならダメであきらめよう、という気持ちになっている。人生、やっぱりなるようにしかならないんだ。こんな風に考えられるようになったのは、「もしかしたら、私の課題は手話通訳になることじゃなくて、日本とスイスの聴覚障害者の橋渡しをすることかもしれない」と思い始めたから。大好きな翻訳と関心のあるろうの世界の組み合わせ。
実は、この手話コースを始める前にちょっとした不思議な出来事があった。手話は最近人気が出ていて、申込者全員が受けられないこともあると聞いていた。通知は全然来ない。やっぱりダメなのかなあ。それじゃあ、もう一つの楽しみ、日本の大学の通信講座で日本の古典をもう一度勉強しなおそうっと。これもずっとやりたかったことだ。でも、楽しみなはずなのに、なぜか心は重い。手話のコースに通えないということで、何か良心がズキズキと痛むのだ。コースに行けないのは私のせいじゃない、私にはどうしようもないのに、行けないことがひどく悪いことのように思えてしょうがなかったのである。どうしてか、いまだにわからない。でも、ひょっとしたら、大げさに言ってみれば、私はこういう方向に進む運命に定まっていたのではないかという気がする。だから、その運命に逆らうかもしれないと考えた精神が動揺したのかもしれない。そのあとにも、運命的といっていい出会いや流れがいくつかあった。今は、この流れに身を任せようと思う。
いまの目標は、山本おさむ氏の漫画『わが指のオーケストラ』を独訳して出版すること。数週間前から行動を起こし始めたが、想像していた通り、なかなかむずかしい。でも今日、一つポジティヴな返事をもらった。まだまだ実現にはほど遠いが、とりあえず具体的な相談をできる人が見つかったのである。このことがうれしくて、ついこんな長々としたエッセイを書いてしまった。
|
|
2005年4月15日
毎週金曜日は掃除の日。まず、拭き掃除から始まって次に掃除機をかけ、フィナーレはバスルーム。だいたい1時間半くらいで終わる。この掃除の時間には日本のCDをかけるのが習慣になっている。いまの歌はもう全然知らないので、やっぱりなつかしのメロディーばかり。
いま、私の中で流行っているのは庄野真代の「The Very Best of MAYO SHONO」と資生堂のCMソングを集めた「音椿~紅盤」。これは、矢沢永吉の「時間よ止まれ」が聞きたかったがために、実家の姉に頼んで送ってもらったものである。なぜか突然、この曲が聞きたくて仕方がなくなった。インターネットで探したら、このCDが見つかった。
「時間よ止まれ」を聞くと、高校1年生の暑い暑い夏を思い出す。姉と同じ下宿で、彼女が録音したカセットを貸してもらっていつも聞いていた。そして、「時間よ止まれ」の次には(前だったかもしれないが)山口百恵の「プレイバック・パートII」がくる。私の中では、この2曲はもうすっかりペアになっている。あの曲も好きだったなあ。百恵ちゃんがかっこよかった。それにしても、「時間よ止まれ」は真夏にぴったりの曲。永ちゃんの曲はこれしか知らないが、大好きな曲の一つである。また聞けて、とってもうれしい。
「音椿~紅盤」にはほかにも懐かしい曲がいっぱい入っている。これは我ながらとてもいい買い物だった(偶然だけど)。後半になってくると知らない曲もあるけど、いやいや、とても楽しい一枚だ。
庄野真代のほうは「Hey Lady 優しくなれるかい」が聞きたかった。これも何かのCMソングだったなあ…。それに、姉が昔から好きだった人。姉の影響というものは恐ろしい…。でもこのベストにも、「ああ、そうだ。こんな曲もあった、あった。好きだったなあ」という曲が満載。しあわせ~。次の「CD欲しい発作」が起こるまで、これで十分楽しめそう。
|
|
2005年4月21日
最近ずっと楽しいこと、うれしいことが続いていた。
まず、先週の金曜日と今週の月曜日には友人の歌手ジェラルディン・オリヴィエのコンサートがチューリヒであったので、夫と二人で観にいってきた。ゼヒセロイテンという春を迎えるお祭りの一環で、彼女もゲストとして招待されていたのである。お祭り用の大テントに舞台がしつらえられていて、私たちが着いた頃にはもうすでに会場は満杯。それでも舞台近くまで行くと、ジェラルディンを発見!彼女のおかげで特等席に座ることができた。でも、この日のコンサートは残念ながら雰囲気がイマイチ。集まっていたお客さんはおしゃべりに夢中で、彼女のトークや歌にほとんど耳を貸さなかったのだ。唯一、ペアで踊るダンス向けの曲のときだけ、「あれあれ」というほど大勢の観客が舞台に上がって、彼女の歌にあわせて楽しそうに踊っていた。でも、アンコールもなし。彼女もがっかりしていたな。
2回目の月曜日、夫も「また行こうぜ」というのでもう一度特等席で鑑賞(彼はおそらくビールが目当て)。今回の観客は金曜日と違い、ノリがいい。彼女はいわゆるシュラーガー(Schlager)という、いってみればドイツ歌謡曲の歌手である。ファンは年配の方が多い。会場では必ず隣の人と腕を組んでスイング。歌手との合唱もめずらしくない。ジェラルディンは今年で10周年を祝うだけあって、会場の雰囲気をうまく読む。舞台に人を上げて一緒に歌ったり踊ったり。楽しい1時間だった。前回とは大違い!わざわざドイツからやってきた甲斐もあったというものだ。
このコンサートで気がついたことが一つある。意外にもチューリヒ人はダンスが好き!ラテン系に比べるとノリの悪いドイツ語系スイス人だが、踊れそうな曲になると勝手にみんな舞台に上がりこんで楽しそうに踊り出す。いま、若者の間でサルサが流行っていることも理由の一つかもしれない。
昨日の水曜日は手話のコースがなくなり、友人に誘われてオペラを観にいってきた。4時間座っているのはつらいなあ、なんて思っていたけど、いざ始まったらまあまあおもしろくてけっこうすぐに時間は経っていった。出し物は「ジュリアス・シーザー」。一番安い席だったので、普段着と変わらない服装で出かけた。舞台は半分くらいしか見えない。たぶん、満席だったと思うのだけど、休憩のあとには空いた席がいくつかできていて、そちらの高い方の席に移ったらずいぶん舞台が見えるようになり、ますますおもしろみが増す。 でも、頭の中ではときどき、こないだはシュラーガーのコンサートで「ブラボー!」と叫ぶ人を見、今日はオペラでやっぱり「ブラボー!」を聞く。同じブラボーでも、中身はずいぶん違うんだよね、なんて考えながら。
昼間は昼間でいろんな人に会って刺激を与えてもらったり、『わが指のオーケストラ』翻訳出版の相談をしたりして、実りの多い日々だった。
……と思っていたところに、今朝のメール。このマンガの出版社からいまの条件では協力できないとの返事がきていた。が~ん。まさか、ここでつまずくとは思いもしていなかった。でも数時間経つと、そうとんとん拍子にことが進むなんてこと、やっぱりなかなかない。このプロジェクトは立ち上げたばかり。もっと時間をかけて計画を練り直そうと思うようになった。世の中、自分の思うようには動かないものなのです。
風邪を引いていながらも楽しそうに歌うジェラルディンとダンスを楽しむ観客
|
|
2005年5月5日
今日は子どもの日なんだ。この日付を書いてはじめて気がついた。子どもがいないと、日本の祝日とはますます無縁になっていく。今年はこちらも祝日。キリストが昇天した日である。キリスト教徒はやっぱり教会へ行くのかしらん。我が家も一応プロテスタントだけれど、自分たちの用で教会へ行ったことは一度もない。式も日本の神社とこちらの役場の署名で済ませただけだし。
最近、ちょっとヒマ。これまで取り組んできたスイスに関する本を一通り訳し終え、先日、編集者に送ったばかり。ほかの翻訳もいま空いている。ホームページもリニューアルし終わったし、マンガの方は日本からの連絡待ち。バルコニーにも先週末に花を植えたし、シソの種も小松菜の種ももう蒔いた。手話のコースは終了、ドイツ語のコースは休み中。宿題ももうほとんど終えた。
そうだなあ、オーブンの中を掃除しなくちゃいけない。でもこれ、たいへん。 読みたい本は山ほどある。次に翻訳したい本もいま読んでいるところだ。これがまたなかなか面白い。友人・知人からは「またマイナーな本を…」と言われるかもしれないが。
私はやっぱり、翻訳をしていないと落ち着かないみたい。
|
|
2005年5月9日
昨日の日曜日、少し晴れ間が見えたのでまた3人でお散歩。子どもの遊び場でモグリと戯れていたら、すぐ近くのアパートから女の人が出てきた。3月の半ばにバス停で話しかけてきた、あの女性だった(2005年3月18日参照)。私たちを見つけたので、本当に出てきてくれたのだ。以前、半年くらいスウェーデンの島で暮らしていたときに飼っていたネコも、喜んで散歩についてきていたという。しばらく雑談してから「それじゃあ」と帰りかけるので、「少し一緒に散歩しませんか?そしたら、モグリも慣れるだろうし」と提案したが、いまは服用している薬のせいで日光を避けなければならないとのこと。じゃあまた今度、ということでお別れした。とてもやさしそうな感じのいい女性だ。私たちが家を空けるときにモグリを見る人がいなかったらいつでもどうぞ、ともおっしゃってくださった。彼女なら、きっとモグリとも意気投合するだろう。
先日、お昼過ぎに家に帰ってきたら知らないネコが留守宅に上がっていた。これまで見たこともないネコ。なんと、モグリものろのろと仕事部屋から出てきた。どちらが先にいたのか知らないが、どうやらモグリはこのネコの侵入を防げなかったみたい。首輪をつけておらず、えさを欲しそうにしばらくうろうろしていたが、かといってべったりなつくわけでもない。半分追い出すような形で出て行ってもらった。夫に話すと「モグリの新しい彼女だったのかもしれないよ」
でも、モグリはほかにもお友達がたくさんいる。もう少し奥のアパートでネコを飼っているオーストリアの女性もモグリの訪問を楽しみにしているようだし、向かいのアパートにはモグリ大好き青年が住んでいる。冬のある日、モグリと森へ散歩に行った帰り、反対側の歩道にイヌを連れた女性が立っていてこちらを見ている。モグリに「行っちゃうまで待ってようね」なんて話していたら、その女性がモグリに向かって「そんなところで何やってんの」と言うではないか。私はあわてて「ときどき一緒に散歩するんですよ。好きなんです、モグリ」と言うと、彼女は「あら、お宅のネコなの。うちの犬はよく知っていますよ」なあ~んだ。じゃあ、道路を渡ってうちへ帰ろう。彼女はモグリになんだか別の名前までつけていたよう。
以前、「スイス人の知り合いってなかなかできないよね~」という話題のときに「子どもと犬がいれば簡単よ」と友人に言われ、「ふ~ん、そうなのか」と思っていたけど、モグリもなかなか。おかげで思いがけない会話を楽しませていただいている。どこかで悪さもしているかもしれないが、人の心を和ませてくれるモグリに感謝。
|
|
2005年5月21日
「ようやく」というか「もう」というか、昨日、「コミュニケーション・アシスタント」養成コースが始まった。朝8時半前に手話の先生ノーベルトと手話コースの仲間ドリス(ドレーシャイベ参照)と中央駅で待ち合わせ。私が一番に着いたのだが、すぐ目の前に手話で会話をしている若者がたむろっている。「話しかけてみたいなあ」と彼らのようすを伺っているところにノーベルトが現れた。彼はやっぱりその中の数人を知っている。学校のスポーツの日で、みんなでどこかへ出かけるのだそうだ。中央駅ではときどき手話で会話をしている若者を見かける。でも、私はあまり中央駅で乗り降りしないので、こういう機会はあまりない。これからは勇気を出して話しかけなくちゃ。
ドリスと三人、隣の州まで電車で行って目的地で降りると、毎年、ろうのお年寄りの休暇旅行で一緒に付き添いをする難聴のカティも同じ電車から降りてきた。一緒に話している女性とは電車の中で偶然となりになり、彼女が目を通している書類から同じコースへいくことがわかって手話を交えておしゃべりをしてきたのだそうだ。その女性は手話通訳をしているので、手話が抜群にうまい。いいなあ、私もあんなふうに手話が使えたらなあ…。
養成コースの参加者は全部で21人。ろう者が3人、難聴者が3人。男性も4人いる。でも、4人とも聴覚障害者だ。コースの責任者の一人はアッシャー症候群のため、視界が極端に狭く、耳は聞こえない。だから、盲導犬の「オリオン」もいつもお供でそばにいる。コースはスイスドイツ語と手話の両方で行われる。これが楽しみだった。手話を習う絶好のチャンス!仕事で居合わせる手話通訳(2人)のほかにも参加者として通訳の女性も2人いるので、休憩時間なども手話が飛び交う。うれしい~。
昨日は趣向を凝らした自己紹介のあと、視覚・聴覚障害者向けのコミュニケーション方法を学んだが、手話のほかにもいろいろな手段があるのに驚いた。参加者の中には、ウルズィ(ドレーシャイベ参照、彼女もこのコースに参加)のようにもうすでにボランティアで視聴覚障害者の付き添いをしている人もたくさんいる。たぶん、私が一番無知だろう。でも、手話ができない人も多い。スイスドイツ語を話さないのは、私ともう一人のドイツ人女性だけ。だけど、みんなすぐに打ち解けていい雰囲気だ。きっと福祉関係に関心のある人が集まっているせいだろう。
昨日家に戻ってからいまになってもまだ、昨日一日がなんだか日常から浮き上がっていて、この日をどう整理したらいいのかわからないような、ちょっと変な気分が続いている。語学以外の講義を受けたのは初めてだし、手話とスイスドイツ語の両方で講義を受けたのも初めて。チューリヒ州以外の場所でのコースというのも思えばこれまでになかったし、手話で一日おしゃべりをする(もちろん、ドリスとかとのおしゃべりはドイツ語だけど)なんてこともそうあることじゃない。次のコースは6月の末。それまでに心のどこかに収納場所を見つけられるかな。
|
|
2005年6月19日
あれあれ、前のエッセイを書いてからもう1ヶ月も経っている。
いつもひいきにしてくれている翻訳会社(といっても日本語の翻訳はほかの言語に比べて極端に少ない)が久しぶりにまとまった仕事をくれ、去年の夏以来の忙しさにまみれていた。量がとても多いところに前々から1週間の休暇を予定していたので、まさに朝から晩まで仕事漬けだったのだ。今回は英語から日本語への翻訳だったので、ドイツ語からよりもちょっと時間もかかってしまったし…。最初は夕飯もきちんとつくっていたけれど、自分から「つくって」と言えず、一人で勝手にイライラしている私を見かねて、最後の方はほとんど夫が買い物も夕食も引き受けてくれた。ありがとうございました。明日はちゃんと部屋の掃除もするし、アイロンがけも済ませるからね。
そう、先週(ああ、もう1週間も過ぎてしまったのね…)は休暇をとってスペインはアンダルシアへ行っていた。2年前の5月にグラナダやロンダ、カディスなどをまわったので、今年は残りのセルヴィアやコルドバを訪れた後、夫のリクエストでポルトガル寄りの大西洋岸へ。2年前とは違い、今回のアンダルシアは暑かった~。町では45度にも達するもわもわとした熱気。高速からはあちこちに無限に広がる黄色い畑。そう、有名なひまわり畑だ。いつかは一度見てみたいと思っていたので感激!!一目散に目的地へ向かいたい夫におねだりして、一度だけ高速を降りてもらう。もうちょっといろんな写真を撮りたかったけど、ま、私の腕じゃこんなもんかな。
その後の1週間はまた仕事仕事仕事。金曜日の締め切りにギリギリで間に合った。ほっ。週末はうちでぼ~っとしててもいいかなと思っていたが、夫の提案で早速金曜の夜からチューリヒで始まったラテンのお祭り「カリエンテ」で人ごみにまみれ、土曜日はまたまた夫に付き添って街で買い物、そのあとは義理の妹家族と一緒にサッカー大会へ遊びに行き、帰ってきてバルコニーで夕食のグリルの用意をしていたら、下に住む家族から「うちもグリルだから、一緒に食べようよ」とお誘い。今日は今日で天気が抜群によかったので、自転車で30分くらい走ったところにある公園で湖水浴。スペインでだいぶん日焼けしたところに上塗りしてきた。水は20度にも満たず、最初の一歩はかなりつらいが、入ってしまえば気持ちいい。海と違って波もほとんどないので泳ぐにはバッチリだ。泳いでさっぱりしたはずだけど、家に帰ったときはまた汗びっしょり。家に帰る最後の行程は登り坂の連続なのだ。あ~、疲れた。
明日は仕事で2回も延ばしてもらった難聴の友人との昼食。久しぶりに友達に会うぞ~。
|
|
2005年6月27日
先週の金曜と土曜は第二回目のコミュニケーション・アシスタントのコースへ行ってきた。9時半から3時半まで講義を聞き続けるのは、けっこうたいへんだ。もうずいぶん長い間やっていないことだし、手話通訳やろう者の手話に見とれてしまうと、今度はスイスドイツ語での講義が耳に入ってこない。いや、耳には入ってくるのだけれど、頭がそれを理解してくれない。できの悪い子はこれだから困る。でも、楽しい。みんなけっこうすぐに打ち解けて、休憩時間はいろんな話題に花が咲く。家族に障害者がいる人も少なくない。だからだと思う。みんな寛大だ。それに、聴覚・視聴覚障害をもった人とのディスカッションはとても興味深い。健常者とは見る目が違う。これはとても貴重な経験じゃないかな。ときどき、夫もこの場に連れてきたいと思うくらい。
このコースは一年間続く。その間に80時間の実習も済ませなければならない。16人の視聴覚障害者が私たちの実習に参加してくれる。つまり、私たちにアシストされてくれる(ヘンな日本語だなあ)。すでにボランティアで活動している人たちにはもう依頼が来ているそうだ。でも、私には全然。友人のドリスもまだ。私なんて、変わった名前の日本人だし、たぶんなかなか依頼は来ないだろう。でも、しょうがない。これは前から覚悟の上だ。
土曜日の帰りの電車では、「ローム(Lorm)」という視聴覚障害者とのコミュニケーション方法が話題になり、家に帰ってから早速説明図を研究。AからZまで、手のひらの特定部分に触れたり線を引いたりして表す方法である。「これ、覚えられるかなあ」と最初は不安だったけれど、やってみると案外すぐに覚えられる。次は早く指を動かせるように練習しなくっちゃ。新しいことを覚えるのって、やっぱり楽しい。なかなか前進しないともどかしくもなるけれど。
|
|
2005年6月30日
今日ではや6月も終わり。ということは、いま気がついたけれど、2005年ももう半分が過ぎてしまったのだ。ひゃ~。「あれっ、いま何年だっけ?2004年?2005年?」と思っているうちにもうこんな事態になっている。子どもの頃から年初めはよく間違えていたけど、なんだかどんどんひどくなっているみたい。のほほんと暮らしているから、脳細胞の死滅スピードが速まっているのだろうか。
久しぶりにモグリに登場してもらおう。最近、モグリは柔らかいエサをあまり食べてくれない。堅い、乾燥しているエサばっかり、がりがり食べている。彼にも流行りというものがあるようだ。
今朝は3時半と5時半ごろに、2回も「お腹すいたよぉ」と起こしに来た。5時半のときは、エサを食べてからもう一
集中的に忙しかった時期が過ぎて、いまはなんだかぽか~んとした感じ。ドイツ語の勉強をちょっとやっては、インターネットをサーフィンしたり、ウインブルドン観戦をしたり。なかなか集中できない。「ピンポン」とメールが着いたりすると「おっ、なんだなんだ」と即チェック。こんなことをやっていても、一日はあっという間に過ぎていく。「こんな時間も必要よ」と思いつつも、やっぱりちょっともったいない…もうちょっとしたら、もうちょっと気合入れよう。 「なにやってんのさ~。早くおいでよ!」 |