瑞筆  スイスで綴るエッセイ 2006年編

 

日ごろの生活の中でふと心よぎったこととりとめのないいなどをそのまま書き綴りました

 

 

 

 

2006年1月2

 

明けましておめでとうございます。今年も一年、よろしくお付き合いください。

 

新しい年が無事やってきたにはやってきたけど、なんだかちょっともの足りないのは確かかも。お年始があるわけでもなければ、おせちやお屠蘇、お雑煮、年賀状といった楽しみもない。いつもの週末に毛が生えたって感じだ。15年経っても、その前に25年近く行ってきた習慣は体の隅々まで染みとおっている。

 

と、年明け早々愚痴るのも何なので、いま私がちょっとだけ夢中になっているサイトをご紹介。同じ年代の方は「懐かしい~」と叫んでしまうかも。http://www.80smusiclyrics.com/games/#null

英語のサイトだけど関係ない。とにかく、やりたいゲームをクリック!夫は「こんなの簡単すぎるよ」とのたまっていたが、私はしばらく楽しめそうだ。

 

 

 

2006年1月16

 

久しぶりに朝、太極拳の練習をした。最近、ほとんど運動をしていないせいか、腰が痛い。先生には「毎週2、3回は練習しなきゃダメよ」と言われているのに、週1回どころかもう数ヶ月も練習していなかったのではなかろうか。先週、仕事を2つ提出してちょっと余裕ができたから、これからはもうちょっと真面目に体を動かそう。

 

そう、ちょっと一段落ついたので、今日は一息入れるつもり。昨日、おとといと週末も久しぶりにゆっくりした。この4~5ヶ月間はいろんなことに追われ続けていたので、やっと休息らしい休息を取ったという感じ。夏からたまり続ける一方だったコミュニケーション・アシスタント・コースの資料もようやく整理を終え、あとは取ったメモをもう一度きれいに書き直すだけ。でも、「いいことを教えてくれるわ」と思いつつ聞いていた講義の中身をほとんど忘れているのにショック。

 

今日は私の誕生日なのでちょっとおサボリ。スイスでは以前、自分の誕生日には会社を休んでもいいことになっていた。いまはたぶん、そんなことはないのだろうが。家族や友人がお祝いの電話やメールをくれた。ときどきお世話になる翻訳会社からもお祝いのメールが届いた。「43歳のお誕生日、おめでとうございます!」・・・

 

クリスマスからそう遠くはなれていないこともあって、家族はクリスマスプレゼントと合体させて贈り物をしてくれたりする。去年はあっちやこっちに出かける用事が多かったためか、義妹夫婦が皮製の大きな手帳をプレゼントしてくれた。これまではユニセフが送ってくる小さな手帳を使っていた。私の予定なんか、一日一行あれば十分書き込めるのだ。この手帳、どこまで使いきれるかしら・・・。

夫にはスイス人作家の書籍シリーズをおねだり。最近、スイスの出版社が出したものだ。全巻揃うのは今年の末くらいかな。最初の5冊が届いたのはもうずいぶん前だが、昨日からMax Frischの1冊を読み始めたところ。

義理の母&彼女の恋人には先日壊れてしまったケーキの焼き型をリクエスト。それにマフィン型もおまけしてくれた。近々、お昼にマフィンを焼こう。

 

 

 

2006年1月21日

 

ずいぶん久しぶりに風邪を引いた。でものどが痛いだけだ。オレンジを食べるとヒリヒリする。不精なたちなので、薬というものをほとんど飲まない。いつも夫にうるさく言われてようやくしぶしぶ薬局へ行く。

 

数年前、花粉症撲滅治療で腸の中のいらない菌を退治するために、一ヵ月半ほぼ野菜と果物だけで過ごした。それ以前はほとんど果物を食べない(食べる暇がない)生活だったが、このダイエットをきっかけに朝食は果物だけ、その代わりいろいろな果物をたくさん食べるようになった。以来、インフルエンザはもちろん、風邪にもトンと縁がなくなった。周囲の人々には「これはぜったいに果物のおかげよ!」と断言している。

 

だから、今回の風邪引きはちょっとショック。最近、食べる果物の種類を減らしたからかなあ。でもまあ、5年に一回くらい風邪引いたってどってことないか。

 

あ、もしかしたら、夏からずっと続いていた「仕事仕事」の日々がやっと終わって気が緩んだせいもあるかも。締め切りのある仕事は昨日すべて提出して、いま手元に残っているのは出版書籍の校正原稿だけ。自分で選んだ本を時間をかけて翻訳できるのはうれしいけれど、こちらはほとんど収入にならないので、いわゆる「仕事」がもうないという不安感もなきにしもあらずだ。以前は「仕事」のない状態が普通だったのだけれど、半年間、「仕事」に追われ続けるとその焦燥感がなかなか抜けない。

 

これまで自分の翻訳に対する評価をもらうことはほとんどなかったが、最近、あちこちから直接・間接的にフィードバックをいただくことができ、「継続は力なり」をますます実感する今日この頃。でも、学びたいことや読みたい本はまだまだアルプス山脈ほどある。それに…

 

いま、貸していたアイロンを返しにきた隣りの家族と30分くらい話していたら、「それに」のあとに何を書こうとしていたのか、すっかり忘れてしまった。もう思い出せそうにない…。

 

 

 

2006年2月15日

 

風邪が直って「さあ仕事再開」と思っていたところに、今度はコンピュータがダウンした。ある朝、突然、Windowsが立ち上がらなくなってしまったのだ。販売会社に連絡したらハードディスクを交換しないとだめだという。が~ん。が、翌日すぐに専門家がやってきた。最低限のセットアップといくつかのアドバイスをして帰っていく彼を笑顔で見送り、「さてほかのアプリケーションをインストールしなくっちゃ」そうそう、プリンターも接続しなくっちゃね。彼が言っていたように注意して。説明書をよく読んで、スイッチを入れる順番を間違わないように。

 

・・・のはずだったのに、まさにその過ちを私は犯してしまったようで、USBが使えなくなってしまった!これまで何台ものプリンターを何の問題もなく接続してきたのに、よりによって注意されたときに失敗するなんて・・・。どんなに恐ろしいことになってしまったのかと一時は心配したけれど、結局「Help」の指示に従って夫が直してくれた。ありがとうございます。

 

その後も、System32がWindows起動時に開いてしまったり、OutlookExpressの受信サーバー名が勝手に変わってしまってメールを受信できなくなったりとまだまだ問題が続いているが、一つひとつクリアしている最中だ。まったく、ハードディスクが壊れると面倒、面倒。大事なデータのバックアップを取ってあったことが唯一の慰みかな。

 

 

 

2006年3月16日

 

去年の6月以来、8ヶ月ぶりにバカンスに出かけた。タイのプーケット島へ2週間。私たちが滞在したホテルはカマラビーチにあり、津波の被害をまともに受けていたが、今ではもう村全体がほぼ元通り、いやたぶん以前よりもきれいになっているのではないかと思う。プーケットに住む日本の方々が立てた記念碑が静かな海に向かって佇んでいた。

 

バイクを借りて、島の主なビーチを見て回った。どこもきれいだが、デッキチェアとビーチパラソルが何列にもずら~っと並んでいる。これさえなければ、まさに夢に見るような景色なんだけど・・・。私たちの最も気に入ったのは、ラッキーなことにホテルの目の前に広がるカマラビーチ(写真左)のはずれの方。デッキチェアは一列、お隣さんとの距離もある。背後には簡素なレストラン(と呼べるかな)が数軒。ここでは繁華街のパトンビーチと違ってタイの人々も素朴だ。夕方になると現れる現地の子供たちもかわいい。お昼はいつもこの簡易オープン食堂の一つで取った。とってもおいしいボリュームたっぷりのトムヤンクンでさえ、せいぜい70バーツ。日本円にすれば240円くらい。ああ、幸せ・・・。

 

でも、一つだけ文句がある。周りがほとんど、お腹が胸より突き出た白人の中高年ばかりだったこと。女性も男性もおんなじような醜い体形をしている。まともな体形をした人がいない!元気のある若者がいない!目の保養にはまったくならないのだ。私も人のことを言えるような美しい体形ではないけれど、退廃を感じさせるような体にはまだなっていないはず。若者が少なかったのは、おそらく静かめのビーチだったからだと思う。パトンビーチに行けば様子はまた違っていただろう。去年、カナリア諸島のグラン・カナリアに行ったときも太った白人の群れに閉口したが、ここでもおんなじだ。この人たちはタイでもサンドイッチやフライドポテトやピザばかり食べている。それを見るのもあまり気分のよいものではなかったな。

 

行きと帰りのシンガポール航空では、デジタル映画が見放題。自分の好きな映画を好きな時間に好きなだけ見られる。行きの飛行機ではまず邦画の『SHINOBI』を見てから『Capote』に挑戦したが、吹き替えがなかったのでパスして『I, Roboter』へ。これには日本語の吹き替えもあったけれど、私は日本語の吹き替えって苦手。すご~く不自然なのだもの。幸いドイツ語でも吹き替えがあったのでこちらで楽しんだ。2本映画を見ていたら、11時間もあっという間に過ぎてしまった。帰りにはまた邦画が見たくなって残りの『タッチ』と『釣りバカ日誌16』を途中まで見た。西田敏行ってうまいなあ。それとも地かなあ。『SHINOBI』や『タッチ』を見たあとだったからかなあ。久しぶりに邦画も見られたし、スチュワーデスさんたちもきれいだったし、満足満足。右の写真はカマラビーチに沈む夕陽。

 

 

 

2006年4月16日

 

ふ~ん、あれからもう1ヶ月も過ぎてしまったんだ。

 

イースター休暇に入った金曜日、夫と二人で、春になるとコウノトリがたくさんやってくる湖へ散歩に出かけた。ここで誤解があるといけないのでちょっと詳しく書いておいた方がいいかな。我が家の「散歩」はまず車で目的地まで出かけることが多い。あるとき「チューリヒのXXへ散歩に行ったのよ」と言ったら、友人に「え~、あんなとこまで家から歩いていくの?」と驚かれたことがある。いえいえ、そうじゃなくって・・・。

 

まあ、それはいいとして、その湖周辺を歩きかけたとき、なぜかタイでの時間を思い出した。まず、タイから帰ってきてこれが初めての散歩じゃないかなあ、と思ったのだけれど、その瞬間、タイで味わっていた感覚を懐かしく思い出した。やっぱり2週間も滞在すると、体もその土地にもっと融合するんだなあ。

 

いまは、今年の初めに返ってきた校正原稿に手を入れているところ。あと2章で終わる。訳注の調べ物などもたくさん出てきているのだけれど、やり始めるとやめられず、思ったより早く終わりそう。翻訳原稿を日本の出版社に送ってから編集者の校正が終わるまでずいぶん時間がかかったので、原書の方はその間に古い箇所を新たに書き直した版が出版されてしまった。今回のは面白おかしく書かれている本なので、ほとんど地で訳文を書いているような感じだけれど、この面白さを日本の方々にどこまで伝えられるか・・・。

 

 

 

2006年5月6日

 

なかなか忙しい、そしてまた楽しい日々だった。ドイツ語の「ドレーシャイベ」のページで紹介している日本のろう青年とりちゃんが来瑞し、約1週間、彼と一緒にドイツ語圏スイスにあるさまざまなろうの組織を訪問していたのである。とりちゃんのホテル予約から組織訪問の問い合わせやスケジュールの調整など、彼の来瑞前から大忙し。加えて、夫、義母とともに日本へ帰ることも決まり、その準備やら訳書に載せる資料収集作業やらもあり、何とかそれを済ませたところに彼がやってきた。

 

とりちゃんとは初対面で、私は日本の手話ができないため、コミュニケーションに少々不安があったけれど、彼はここの手話を学ぶために来ていたので、真剣に私たちの手話を勉強して、帰る頃にはスイスのろうの人ともかなり会話ができるようになっていた。私たち健聴者が一つの外国語を勉強して、その国の人と話せるようになるにはかなりの時間がかかるけれど、それに比べれば手話はすぐだ。勘違いがままあることは否めなくても、簡単な会話なら結構早くできるようになる。なんともうらやましい。

 

これからはビデオフォンやショートフィルムなどをメールに添付するなどして、私がいなくても、今回知り合ったスイスの人々との友好を深めていけるようになって欲しい。

 

今回のさまざまな組織や学校の訪問では、スイスのろうの人々のたくましさ、独立心の強さをしみじみと感じた。とりちゃんからは日本の実情を聞くことができた。また、久しぶりに手話をたくさん使うことができ、多くの聴覚障害者とも知り合い、健聴者も含め、いろんな人といろんな話をすることができ、とても有意義な日々だった。出費はちょっと痛いけれど、それに代えられないものもたくさん得たと思う。

 

さて、これから日本帰国まで、また少し翻訳だ!

 

 

 

2006年5月13日

 

ちょっと残念な出来事があった。ここに詳しく書くことはできないけれど、「うまく利用されただけなのかなあ、やっぱり」と思うような出来事だ。

 

私は人にあまり期待をしないようにしているけれど、それでも心のどこかで不満を感じることはやっぱりある。それはそうだ。私は悟りを開いたわけでもないし、無私のシスターでもない。別にお礼を言ってもらいたくて行動しているわけではないが、ちょっとした一言があるかないかで、人の心というものは大きく揺れ動く。

 

我ながら了見が狭いかなあ、と思ったりもするけれど、世の中にはやっぱり礼儀というものもあって、それなしには物事は円滑に運ばないんじゃないか、とも思う。幸い、いまはやらなければならないことがたくさんあるので、こんなことばかりグルグルと考えていられない。人間、40何年も生きていれば、そんなことだってあるさ!

 

 

 

2006年6月24日

 

約1ヶ月の休暇もあっという間に、でも楽しく、そしてケガも病気もなく過ぎた。

 

去年辺りから「そろそろ日本に帰りたいなあ」と思っていた。でも、いつになったら帰ることができるやら、今年の春になってもほとんど見当がついていなかった。それなのに、いったん決まるとものごとの進むことの早いこと早いこと。夫の仕事の都合で5月の半ば過ぎに帰国が決定。これまで日本行きを何度か誘ってもうやむやな返事しかくれなかった義母も、数日で決心。そして、数年間来瑞を悩んでいた私の母も、遠く離れた日本でとうとうスイス旅行を決心。ああ、素晴らしい!

3人で周った日本はとても楽しかった。そして、何より驚いたのが新緑の日本の美しさと日本に住む人々の礼儀正しさ。数年前は眉をひそめるような対応が多かったレストランの従業員も、今回はみなとても親切でサービスもバツグン。義母は、テーブルに着くたびに無料で出てくるおいしい水(ほとんどの水は塩素の匂いがしなかった)やおしぼりに感激していた。実家に帰るために利用する近鉄の車掌さんにいたっては、車両に出入りするたびにお辞儀をする。込み合う電車では、ちょっと体がぶつかると「すみません」と謝ってくれる。日本ってこんなに素晴らしい国だったんだ、と今回の帰省で日本をものすごく見直した。

 

そして、スイスに戻る道すがら、今度は母も加わって4人の旅、名古屋発パリ経由。行きも同じだったが、パリではにこやかで礼儀正しい日本から来た私たちにはますます腹の立つことばかり。人という人はみな無愛想で、意地悪をしているんじゃないかとすら思うほど。カフェの中もごみだらけ。義母は怒りやら情けなさやらが混じるため息をつく。

 

フランスびいきの人には悪いけれど、私は17年前からフランスにはあまりいい印象をもっていない。まだ結婚前、夫と二人でチューリヒからパリへ電車で行ったとき、フランスの国境で私は日本のパスポートを取り上げられ、簡単な身体検査を行われた。長い間待ってやっとパスポートが帰ってきたときも、ツンとそれを差し出すだけ。かといって、荷物にはまったく手を触れようとしなかったと記憶する。私は怒りで涙が出そうだった。あとで夫が、「傲慢なやつらだよね。きっと暇だったんで、キミをもてあそんだんだよ」と言う。私もそのとおりだと思った。今回のパリでの手荷物検査も一見厳しいようで実はいい加減だったし。

 

義母との日本旅行、続いて母のスイス滞在。そう聞いた友人はみな口をそろえて「そりゃ、たいへんだね~」と言ったが、思ったよりもたいへんではなく、とても楽しく過ごした。きっと、なんにでも興味を示して楽しむのがうまい義母と、同じく小さなことにはこだわらず、受け入れるのがうまい楽しみ上手の母のおかげだったのだろう。そして、田舎の家族や親戚の心のこもった待遇、また母がこちらで受けた歓待にもとてもとても感謝している。あ、もちろん、気立ての良い夫にも心から感謝していますよ。

 

 

 

2006年7月8日

 

仕事仲間兼友人のH美さんが二人目のお嬢さんを出産した。メールで連絡をもらい、昨日の金曜日、仕事も一段落ついたし、彼女にももうずいぶん長い間会っていないし、この機会を逃したらこの先いつ会えるかわかったものではないので、ぐずついた天気の中、久しぶりに私用でうちを出発。

 

おっとその前に、彼女がまだ入院しているか確認をしておかなくちゃ。そろそろ退院の頃だもんね。でも、大丈夫。病院に電話をしたところ、彼女はまだいるという。部屋の電話番号も教えてくれたので、ちょっと電話してみようかな。都合が悪いといけないし、花束よりもほかに何か欲しいものがあるかもしれないものね。

 

誰かとカフェにでも出かけているのかなあ。何度かけても出ないぞ。

 

街に着いたとたん、大粒の雨が降り出した。折りたたみの傘を持ってきて良かった。でも、服装の選択を誤った。薄手の緑色のパンツなので、雨が当たるとすぐに変色してしまう。みっともないなあ。さっさと歩いて大学病院へ。受付で病室の番号を聞いてから彼女の部屋のドアをノック。3人部屋らしいけど、一人しかいない。でもその彼女はH美さんじゃない。「あの~、XXさんは?」と聞くと「こっちの彼女?それともこっち?日本人の彼女なら、今朝退院したわよ」

「え~っ!!」そ、そんなバカな・・・。ちゃんと電話で確認して、下の受付でも部屋番号を教えてくれたのに。これじゃあ、いくら部屋に電話しても出ないはずよね・・・。

 

怒りながらナースセンターへ行き、「こうこうこうで、こうなんだけどっ!」と抗議した。優しそうな看護婦さんは「ごめんなさいねえ。たぶん、あなたが電話したとき、ちょうどXXさんが部屋を出る頃だったのかもね。下の受付までその連絡が行くのに時間がかかるのよ・・・。悪いけど、お見舞いなら彼女のお宅まで行ってもらえないかしら」

 

何ですってぇ~!あなたにそんなことを言われる筋合いはない!行きたいのはやまやまだけど、退院したその日に行けるぅ?私だって仕事の合間を見て出かけてきたのに。チューリヒまでバスで15分のところに住んでいるからいいものの、これが電車で3時間も4時間もかかるところに住んでいる人だったら、どうするの?それでも「ごめんなさいねえ」の一言で済んじゃうの?

 

かといって、もうどうすることもできないので、花束を持ったままおとなしくエレベータに乗る。受付で電話の応対をしていたお兄ちゃんにも「彼女、もう家に帰ったって!」と言い残して出口へ。哀しい。せっかく彼女に似合いそうな花を買ったのになあ。憤懣やるかたなく、というわけでもないけれど、外に出てからH美さんの自宅に電話をした。彼女も驚いていたが、入院中はほかにもいろいろとあったよう。これから来る?と聞いてくれたけど、やっぱり辞退した。花を渡せないのが残念だけど、この数週間、私もちょっと仕事をがんばったので、これは自分へのご褒美にしよう。こんな立派な花じゃないけど、いつか切花を買いたいなと思っていたのよね、実は。H美さん、ごめん。

 

H美さんの手に届かなかったバラたち

 

 

 

2006年7月21日

 

とても貴重な経験をした。

 

鈴木ひとみさんという方をご存知だろうか。元ミス・インターナショナル準日本代表に選ばれ、その後ファッションモデルやCMなどで活躍していてこれからというときに交通事故に遭い、頚椎を骨折して下半身麻痺になってしまった人だ。彼女の運命は、ずっと前に「車椅子の花嫁」というテレビドラマにもなっている(ひとみさんのHP: http://www.h2.dion.ne.jp/~hitomi-s/)。

 

実を言うと、私は彼女のことをまったくと言っていいほど知らなかったのだけれど、友人から彼女のアシストをやってみないかと声をかけてもらって即答し、今回1週間ほど彼女と一緒に過ごしたのだ。スイスの田舎町で障害者の射撃世界大会が開催され(今日が閉会式だったはず)、ひとみさんもそのメンバーに選ばれたための来瑞だった。

 

日本の代表チームは監督やアシストも含めておよそ15人。みんな手か足に障害がある。私はこれまでそういう身障者とほとんど縁がなかったので、車椅子の押し方から習うといった有様。ましてや、射撃のことなんかこれっぽちも知らないのだけれど、ひとみさんは根気よくていねいに一つひとつ教えてくれた。ほかのアシストの人も快く手を貸してくれたし、選手の皆さんもみんな優しい人ばかり。どちらに障害があるのかわからないといった感じだ。

 

頚椎を骨折した人はほかにも何人かいたのだけれど、みんな汗をかくことができないので体温調節ができないという。放っておけば、体温がどんどん上がって熱中症のようになってしまう。それだけではなく、体の一部が麻痺しているために気をつけなければならないことはほかにもいろいろある。私は、車椅子の人は足が動かないだけだと思っていたのだけど、なんて大間違い!

 

大会中、スイスは異常なほどの好天、つまり猛暑に見舞われ、選手ばかりか私も暑さに疲れ果てるような状態。それでも、みんないろんな工夫を凝らしてコンディションをベストにもっていこうと努力している。そして、笑い声が絶えない。たまたま近畿以西の人間が揃っていて、関西弁が飛び交っていたところも楽しかった。冗談がもっとおかしく聞こえる。それにしても、みんな苦しい時期を乗り越えてきた人たちだ。強くて優しい。みんなの笑顔を思い浮かべると、なぜか目頭が熱くなる。

 

 

私のほかに、もう一人アシストの人がいた。彼はお姉さんに付き添っていたのだけれど、このカップル(?)もまた面白い。お姉さんは以前、女優さんだったそうな。大きな目をいつもくるくるさせて、楽しいおしゃべりをする人だ。そして、弟さんの方は神戸で大人気の占い師。私も少し占ってくれた。ものすごく真剣に。そして、私は彼のひと言ひと言に頷かずにはいられなかった。自分が思っていることに対して「大丈夫だから、それで」と一歩前に踏み出させてくれるような感じ。幼い頃から占いばかりしていたという彼は、まさに占うために生まれてきたのかもしれない。木下博嗣(ひろし)くんは信頼できる占い師ですよ(太鼓判!)。

 

帰ってきたら、さすがに少し疲れが出たけれど、ひとみさんを紹介してくれた友人に即電話。射撃の世界大会も、ひとみさんの付き添いも、全部「楽しかったよ~」と言わずにはいられなかったのだ。そして、ひとみさんとの出会い。本当に感謝しています。    

                                                                                                                                                       開会式はあいにくの「時々雨」。手前の2テーブルが日本チーム

 

 

 

2006年8月9

 

ツェルマットは寒かった~。今が8月であることなど、すっかり頭の中から消し去られてしまったくらい。8月4日から7日まで、自宅から片道5時間かかる観光の街ツェルマットに滞在していた。

「いいね~、長めの週末?」

いえいえ、とんでもない。お仕事です。でも、ひとみさんの随伴に引き続いてまたまた素敵な体験となった。

 

内田さんと井出君という車椅子の二人を標高4164メートルのブライトホルンに登頂させようという長野のグループ「ドリームズ登山隊」のことは、日本ではけっこうマスコミに取り上げられているらしいので、名前を聞いたことのある方もきっと少なくないと思う。登山隊長のアルピニスト野口健さんやHALというロボットスーツを開発した筑波大学の山海教授の協力を得て、はるばるツェルマットまでやってこられたみなさんの通訳をやらせていただいた。このプロジェクトについては、ドリームズ登山隊のHP(http://www.with-dreams.org/、各リンクもどうぞ!)や野口さんのブログ(http://blog.livedoor.jp/fuji8776/)に詳細が記されている。

 

たくさん書きたいことがあるけれど、どれかを書き始めるととても長くなってしまいそう。とにかく、今回も温かい人の心にたくさん触れてきた。気さくな野口さん(彼は本当に山を愛している人だと思う)、いつも微笑んでいる山海教授、たくましい井出君のお母さんと内田さんの奥さん、慣れない外国でのオーガナイズに奔走していた斎梧さん、それにカメラを持たない私の写真を取ってくださった方々、笑いを誘う日テレの方々、ホテル・イェーガーホフ(Jägerhof)の寛大なみなさん…。そして、滞在最後の日にようやく巡ってきたチャンスに目を輝かせていた内田さんと井出君のお二人。

 

 

                                      ドイツのテレビ局のインタビューに答える内田さん

 

私は出発を見送ったあと、下山を待たずにチューリヒへ戻ったけれど、メンバーの一人が成田に着くなり携帯から「無事帰国」のメッセージを送ってくださった。私はとにかく無事帰国を祈ることしかできなかったので、ほっ。スイスのメディアで登頂がならなかったことを知ったけれど、みなさん、これだけやればきっと満足されたことと思う。

 

内田さんの奥さんと井出君のお母さんがおっしゃっていた、「このチームは本当にやさしい、いいチームなんです」という      

   ドイツのテレビ局のインタビューに答える野口さん   ことばが忘れられない。私もほんの数日間だったけれど、そん

                        な人たちの中にいられて幸せだ。土・日と陣中見舞いに来てく

                        れた夫にも感謝。  

 

 

 

2006年8月14日

 

その後も、身障者との交わりは続いた ― というほどのものでもないが、ツェルマットから帰ってボ~ッとしていたある日、ドアのベルが鳴った。のぞき穴から見ると、女性が一人立っている。知らない人のようだけど、お隣さんが何やらざわざわしているからその関係かな?とドアを開けてしまった(あとで夫に怒られる)。

 

そこにいたのはまだ20代と思しき女性。「???」と思っていると、まず「私は言語障害を患っています」とドイツ語で言う。それからプラスチックにプレスされた紙を渡す。そこには「言語障害のため仕事が見つからず、自分で作ったカードを売っている。あなたにも、あなたの隣人と同じようにこのカードを買って欲しい」というような主旨のことが書かれていた。

 

「隣人と同じように」というセリフにちょっと「ン!?」と思ったことも手伝ってか、私は彼女にとても失礼な発言をしてしまった。「あなた、手話って知ってる?」と聞いたのだ。そのとき彼女は知らないと首を振ったが、「私、手話を勉強したの。あなたにも役立つんじゃないかしら」と言ったら、少し怒ったように「私はしゃべることができるんです」と言う。そうだ、確かに。それに、手話を習っても職を見つけるのに役立つとも思えない。私は恥ずかしくなって素直に謝った。そのあと彼女は「じゃあ、カードを見てもらえますか?」と聞くのだが、私はしばらく考えてから断った。

 

この失敗は尾を引いて、読みかけの新聞に目を戻しても、彼女の言語障害のことが頭を離れなかった。彼女たちはいったいどんな職種につくのだろう。どんな毎日を送っているのだろう…と。でも、ここでカードを買っても、それが彼女の根本的なヘルプになるとは思えない。彼女が嘘をついているとは思えないけど、個人的な訪問販売ではやっぱり何かを買う気にはなれない。かといって、大規模な組織に寄付をしたところで、自分のお金が本当に困っている人の元へたどり着くのかも疑問だが。これは永遠に続くジレンマだろう。

 

それからしばらくして、日本へ一時帰国する友人とチューリヒ空港で束の間のおしゃべりを楽しんだ。ひとみさんを紹介してくれたMさんだ。そのとき、この話やツェルマットでの体験談を持ち出し、話題は身体障害へと移っていった。彼女の義理のお母さんももう長い間看護士などのお世話になっているそうだが、Mさんが言った。

「障害者を世話している人にはみんなが『えらいね、たいへんね』っていうけど、時にはいやな人にも頭を下げて世話をしてもらわなければならない障害者の方がたいへんじゃないかな」

 

その通りだと思う。これと似たようなことをブライトホルンに登った井出君もブログに書いている(http://kyouga-world.cocolog-nifty.com/blog/)。障害者の気持ちは、実際に自分が似たような障害を負わなければわからない。まあ、これは障害に限らずなんでもそうなんだろうけど。

 

 

 

2006年9月16日

 

またしても初めての経験。コミュニケーション・アシスタント(略称KA)として初めて泊りがけで重度の視覚聴覚障害者に付き添ってきた。場所はオーストリアのとあるウエルネスホテル。5泊6日の(彼女にとっての)休暇だった。

 

とはいえ、彼女もKAと二人きりで何泊もの旅行に出るのは初めて。光を完全に失い、聴力もほとんど無くしてから10年が経つが、私のような半しろうとでいいのだろうか…と出発前から私はかなり緊張していた。KAとして随伴するからには、彼女にできるだけリラックスし、できるだけ楽しんで欲しい。そのお手伝いがどこまでできるか、不安は大きかった。出発前に一度買い物などの随伴をしたのだが、そのときに彼女はそんな私の心を見透かすかのように「今度の旅行、大丈夫?すぐにノックアウト状態になりそうな感じがするけど…」と言った。私は正直に「初めてのことだからドンと胸を叩いて任せてよ!とは言えない。でも、チャンスを与えてくれるのならやってみたい」と答えた。しばらくお互い、腹を割って話し合った末、「大丈夫!二人でやってみよう!」ということになったのだった。

 

泊まった先は4つ星のホテルだったので、何もかも言うことなし。フロントでもレストランでもみなとても親切だった。そして、何よりも食事が最高。朝食のビュッフェから昼食、おやつのさまざまなケーキ、そして夕食。ほとんど食べてばかりだったかも。オーストリア出身の彼女もほとんど悲鳴を上げそうなくらいの喜びよう。彼女いわく、典型的なオーストリアの食事を繊細にしたメニューだそうだ。サラダビュッフェのサラダも毎日食べても全然飽きない。3つあるプールもジャグジーも大いに楽しめるし、そのほかいろんなセラピーも受けられる。周りは湿地帯で散歩に適している。近所の村まで歩いて1時間くらいかな。ちょうどいい距離だ。

 

「寝ているときしかリラックスできない」と言う彼女は、このホテル滞在で本当に体を休めることはできなかったけれど、私と一緒に楽しい時間を過ごすことができた、とうれしいフィードバックをくれた。ほぼ1週間近くも一人の人に付きっ切りでいるのは結構ヘビーだ。この数日間で、すべてのシチュエーションを経験したような気さえする。体の疲れだけではなく、精神的な疲れも大きい。彼女の苦しみ、悲しみもすべて一身に受け取ってしまうせいだろう。家に帰ってきたとき、無性に泣きたくなっている自分に気がついた。

 

    

       朝霧に沈むロイテ(Reuthe)の谷              帰宅の日。秋を前に、山から谷へ下りてくる牛の群れがいっぱい

 

 

 

2006年9月25日

 

腱鞘炎になってしまった・・・。正しくは「なってから1年経つ」だけど。

ちょうど去年の今ごろから、左手の親指の付け根がときどき痛むようになっていた。理由はわかっている。もちろん、キーボードの叩きすぎ、漢字変換のしすぎだ。だから、これまで左手の親指でスペースキーを叩いていたのを右手の親指に変えた。そしたら、今度はこっちの親指まで痛み出した。もしかしたら関節症かもしれないと不安が募り、8月半ば過ぎにようやくお医者さんへ行ってきた(いつも通り、医者へ行くのには時間がかかる)。

 

レントゲンを撮ると、心配していた関節症ではないらしい。ほ~っ。関節症じゃないならたいしたことはないっ。と喜び勇んで帰ってきたが、そののち、いろんな人と話をして腱鞘炎と言えども侮れない相手であることがだんだんわかってきた。

 

最初は夜、就寝時にシップを貼るだけだったけれど、誰に聞いても一番いいのは「患部の絶対安静」だと言う。でも、親指を動かさずに日常を過ごすなんて絶対無理。それでもやらないよりはまし、と、こないだ薬局で左親指用の固定サポーターを購入。右手には包帯を巻いている。そして、一日3~4回、Voltaren消炎・鎮痛剤を塗る。幸い、急ぐ仕事はないので週末もかなり手を休めた。夫もあれこれ気を遣って手伝ってくれるが、結構、肝心なときに手が足りなかったりする。あはは。これ、2週間くらいで治らないものかな。1年続いた痛みが2週間で取れればしめしめなんだけどな。

 

左の写真は、最後の秋の行楽のワンシーン。中央スイスにある女性的な山、リギ(Rigi)から、空の青に溶け込んだ男性的な山、ピラトゥスを眺める。平日だったのに、結構人がいっぱいだったぞ。

     

 

 

2006年10月10日

 

毎日、左手に親指ギプスをはめ、消炎剤を塗り、友人がくれたサロンパスを貼って、入力もあまりしていないためか、腱鞘炎は少し良くなったような気がする。 よしよし。

 

最近、穏やかな天気のせいか、モグリはほとんどうちに帰って来ない。朝と夜、そして夜中か明け方にエサをねだりに来て、夜はソファの上で僕(しもべ)の私たちから全身マッサージを受け、そのあとまたさっさと出かけてしまう。まあ、僕と一緒にうちでぼ~っとしているより、外で遊んでいた方が楽しいに違いないことはよくわかるけど…。でも、実はモグリ、それほど外で遊んでいるわけでもないよう。夏の終わりごろだったか、夫がある日、言った。「こいつ、なんか地下室の匂いがするみたい」嗅いでみると、確かに少しかび臭い…???。

 

その数日後、隣りの奥さんが笑いながら言う。「モグリってばさあ、うちの地下室に置いてあるベビーカーの中で寝てんのよ!」なんと!どうりで、かび臭いはずだ。上の方が内側に傾いて開けられている小さな窓から出入りしているらしい(これは猫には危険!)。ベビーカーはきっとモグリの毛だらけだ。「ごめんね~」

以来、モグリにもう一つあだ名が増えた。「Keller-Mogli(地下室モグリ)」(その他「Kötzi-Mogli」、「Zecke-Mogli」…わかる人にはわかる(当たり前)あだ名です)

 

私の仕事机の下で眠りこけるモグリ

 

 

 

2006年10月24日

 

今日は「秋一番」が吹き荒れている。フェーンなんだろうな。今朝から軽い頭痛がするのはそのためだろうか。スイスに来るまで頭痛など風邪を引いたときくらいしか知らなかったのに、こちらではけっこう悩まされる。「Durchzug」といって、建物や車の中で風が直接頭に当たったり、フェーンになったりするともう一発。そうすると、肩もこる。頭痛がするから肩がこるのか、肩がこっているから頭痛がするのか…。

 

ネクタリンや桃、アプリコットが店頭から徐々に姿を消していくのを見ると、「ああ、もう夏も終わりなんだ」という気分になる。そして、ため息。フルーツの種類が極端に減るなあ…。

 

でも、その代わりに柿が出てくる。イチジクがある。スモモやプラムもある。洋ナシやブドウもおいしい。栗や胡桃の実だってたくさん。我が家の朝食はフルーツだけなので、夏が終わるとちょっとキビシイなあ、と思っていたけど、スイスだって実りの秋なのだ - ということに、今年やっと気がついた。

                                                                                                                                           クイッテとシクラメン

柿やイチジクは輸入ものが多いけれど、その辺にたわわになっているものにマルメロ(Quitte)がある。この果物はナマでは食べられないのでジャムにすることが多い。先日、クライアントからマルメロ酒をいただき、それがとってもおいしかったので、先日、生まれて初めてこのマルメロを買ってみた。買ったあとで、ナマでは食せないということを知り、なあんだ。その後、インターネットでデザートのレシピを探したけれど、まだつくるまでには至っていない。今週末には何とか試してみたいな。

                                 

                                                                                                                                                                                                                              

                                                                                                                                                                                   リンゴかナシみたい

 

 

 

2006年11月22

 

今年の秋は本当に暖かい。記録的な暖かさだそうだ。あと一ヶ月でクリスマスなんてうそみたい。これも温暖化のせいかしら。ああ、世の中の政治家はこんなにのんびりしていていいのかなあ。

 

もう2週間前になるのだろうか。やっとのことで念願の「香水」を観に行ってきた。旧市街の真ん中にある小さな映画館に入ったのは5時半前。平日だったので、会社員には厳しい時間だ。封切されてからもう2ヶ月も経っているこの映画を観に来たのは、私たち夫婦のほかはなんと女性が一人だけ!100人以上は入ると思われる空間に座っていたのはたったの3人だったのだ。こんなことはもう二度とないかも…と夫の携帯で写真を撮ってもらったが、彼は保存し忘れてぱぁ。ま、いいや。映画館を出たあと、旧市街育ちの夫は「なんだか、哀しいね」とつぶやいた。あの映画館はもうすぐ閉鎖されるそうだ。ここでも小さな店が廃業に追いやられるのか…。

 

ところで、映画の中身はというと ‐ よかった。原書と同じく、ヒジョーにグロテスクだった。何百年も前のパリはあんなふうに汚かったんだ~とヘンに感心してしまった。1つ、やっぱりなあ、と思ったことは、本だと可能かなと思えることも、映像にすると「うそだ~、それ」と思ってしまうことだ。本の中では自分で勝手に想像が膨らみ、何となくすべてが現実に起こりそうに思える。でも、それを実際に見てしまうと、ちょっと無理が生じる。ま、これはしかたがないのかな。全体としてはとても満足。でも、グロテスクが苦手は人にはおススメしない。

 

この日は実は、年に二度訪れる私たちの結婚記念日でもあった。前日、義母の家で夕食をいただいたときや、映画館に入る前なんかもちゃんと覚えていたのに、そのあところっと忘れてしまい、翌日、夫に言われて初めてまた思い出した。確か、映画のあと、ああ、そうそうタイ料理を食べに行ったのよね。初めて行ったレストランだったので、食べることにばかり集中していて、記念日のことはすっかり忘れてしまったんだ。いつも、こう。前日までは「明日は結婚記念日だよ」と言えるのに、当日になるとなぜか忘れてしまう。相手も忘れてるんだから、まあいいか。

 

 

 

2006年12月30

 

師走だ。忙しい。何に忙しいのかというと、2泊3日で南フランスへ気分転換に出かけてしまったために、その分を取り戻さねばと思って気ぜわしいのだ。今かかっている仕事の締め切りは2月末。まだたっぷりあるじゃない、と思われるかもれしれないが、私の計算ではギリギリ間に合うかどうか―。そう思うと夜も眠れない…わけではないけれど、翻訳者にとって一番大事なのは締め切りを守ること。いつも念頭から離れないのは確かだ。

 

といいつつ、やっぱりクリスマスやお正月はなんやかやで落ち着いて仕事ができる時期ではない。明日の大晦日は義妹宅でお祝いすることになり、年が明けたら訪ねたいファミリーもいる。

掃除機は夫がかけてくれたけど、トイレ掃除は私の役目でまだ終わっていない。ああ、気ばかりが焦る…のにこうやってエッセイを書いているのはどういうわけか。

 

それは南フランスが素晴らしかったからである。チューリヒから飛行機でたったの1時間でニースに着く。霧の下に埋もれていたチューリヒとはまさに雲泥の差、ニースはまばゆい青空の下に広がっていた。大通り沿いのホテルは改築中だったが、そしてその大通りもトラム(路面電車)を新たに引くための大掛かりな工事の真っ最中だったが、街は活気に満ち溢れ、人もパリ人のようにツンツンとしておらず、旧市街は楽しく、そしてイタリア料理が最高においしかった。フランスなのにイタリアン?そう、私も南フランスを訪れたのは初めてで知らなかったのだが、地図を見ればイタリアはすぐそこ。地中海の魚が捕りつくされてしまった今では、ブイヤベースは高級料理で、あるのはムール貝とパスタばかり。

 

    

     高台から見下ろしたニース。右手が旧市街                カンヌのビーチレストラン。魚介類がたくさん

 

私たちのおススメレストランはニースのビーチに近い「la Voglia」。偶然入ったレストランだけど超人気で、2度目にここで夕食を取ったとき、食べ終わって夜9時過ぎに出ようとするとなんと長蛇の列!ヨーロッパでこんな待ち行列は見たことがない。値段は高めだが、量がけっこうあって、おいしい!魚介類のスパゲティを頼むと、大人の頭が3つくらい入りそうな大きなお皿に入ってやってくる。もちろんムール貝がいっぱい。

 

ニースから電車でモナコ公国やカンヌ、ちょっと内陸に入ったグラースまで足を延ばした。どこの町でもクリスマスマーケットが出ていたけど、気温は20度近く、半袖で歩いている人や中には海で泳いでいる人もいる陽気、クリスマスとはちょっと遠い雰囲気だったかな。でも、太陽の光を十分吸収して大満足。

 

 

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