|
瑞筆 ー スイスで綴るエッセイ 2008年編
日ごろの生活の中でふと心をよぎったこと、とりとめのない思いなどをそのまま書き綴りました。
|
|
2008年1月20日
おととい、約4週間の西オーストラリアの旅から無事戻った。ちょうど20年前に夫と知り合った土地での「出会い20周年記念」のバカンスだった。時期もほとんど同じ。旅先も同じく、私たちが知り合ったパースからレンタカーで南下してエスペランスまで。その後は飛行機でパースに戻って5泊、それからまた飛行機で北上して初めてエックスマウスを訪ねた。
しかし、さすがに4週間もあるとゆっくりと旅行することができるし、ほんとうに「バカンス」に浸ることができる。インターネットもほとんど見ない日々。本すらあまり読まなかった。ビーチにいる
1994年にも一度2人でオーストラリアを訪れているが、今回もやっぱり期待が裏切られることはなかった。美しい街パースは建設ブームと見え、新しいビルが次々と建てられていたけれど。今回楽しみにしていたのは、飛び切りおいしいオージーバーガー。でも、残念ながら「これだ!」というものを味わうことはできなかった。その代わり、パースにはおいしい料理を出すしゃれたレストランがたくさんできていてビックリ!それに西オーストラリア産ワインの豊富なこと!安くはないが、どれもおいしい。そうそう、物価は結構高くてス わずかに抵抗を試みる… イスとあまり変わらないかも。
ブッシュがあるところでは、車を降りてちょっと歩くとクリクリした丸い目でこちらをジッと眺めているカンガルーたちに出会う。エミューもゆったりとした歩調で道路を横切っていく。オーストラリアの素晴らしさはやっぱりこの自然。ちょっと時間を取って辺りを観察すると、いろんな動物にお目にかかることができる。いろんな変わった植物もおもしろい。都会を離れると夜空は満天の星で、数分間眺めているだけでも流れ星がたくさん。4週間で写真をおよそ440枚撮ったので、友人知人向けに公開しようと思っている。関心のある方は、近々http://photos.yahoo.co.jp/ph/moglithomi/lst?.view=t&.dir=/a177をご覧くださいませ。
|
|
2008年2月23日
世の中、すっかり春。とまではいかないけれど、最近はめっきり暖かくなった。そろそろ花粉がさまよい出したと見え、私の鼻はムズムズ。ああ、いまもくしゃみ。私が大きなくしゃみをすると、そばにいるモグリが「ミァオ」だか「ギャオ」だか声を出す。最初は「大丈夫?」と気にしてくれていると信じて疑わなかったが、夫が言うとおりそうではないのかもしれない。ときどき、うるさそうに離れていく…。
昨日、久しぶりに盲の人と少しだけおしゃべりをした。お昼休みに買い物へ行き、会社へ戻ろうと横断歩道に向かうと、そこで白い杖を持った女性が渡りたそうにしている。ここは交通量が多い。「何かお手伝いできますか?」と聞くと、即座に「お願いします」と返って来た。ロータリーになっているので、彼女が行きたいというバス停までは横断歩道を2つとトラム(路面電車)が行き来する線路を超えなければならない。
バスが来るまで彼女と一緒に待つことにして、その間に少しおしゃべりをした。「バスの運転手は白い杖に気がついてくれますか?」と聞くと、私と同年代くらいの小柄な彼女は笑顔で「ほとんどはね。でも、中にはロマンチックな運転手もいて、私に気づかず、お目当ての女性のところへまっしぐらっていう感じで、みんなが乗り終わるとさあ~っと行ってしまう人もいるの」。
いつも思うけれど、障害を持っている人ってウィットに富んだ人が多い。心が広い。でも彼女は「盲の人の中にもいろんな人がいて、『何かできますか』って聞かれても『いらない!』って強がる人もいるのよね」とも。まあ、障害がない人もいろんな人がいるし。とにかく、久しぶりにちょっと素敵なひとときでした。
2月7日にすでに咲いているのを発見!2回見直してもやっぱりクロッカス
P.S. 来た!とうとう来てしまった。オーストラリアからの督促状。きっとやってくると思っていたんだ。エスペランスへ南下中、制限時速90キロのところを100キロちょっとで走っていたら、向こうから走ってきてすれ違ったパトカーがUターンして戻ってきた。罰金150ドル(約1万5000円)。「郵便局で支払ってね」という言葉を無視して帰って来た私たち。でも、おまわりさんはうちの住所控えてたんだよなあ。またオーストラリアへ行きたい私たち。夫は「今度は払うよ」と言ってくれました。ほっ。
|
|
2008年3月12日
今週は夫が夕食を作っている。別に私が病気なわけではない。先週、ほぼ毎日といっていいほど夫が夕食を残したので、私は腹を立てて「来週は自分で作ってよ!私はあなたが作った夕食を毎回半分残してやるから!」と宣言したのだ。
私たち日本人は食事の前に「いただきます」と言う。これは同じ食前の言葉でも、フランス語の「ボナペティ」やドイツ語の「グーテン・アペティート」とは意味が違う。こちらは「おいしい食事を楽しんでね」みたいな感じで、相手にかける言葉だ。でも、「いただきます」はどちらかというと自分自身の感謝や敬意を表す言葉だろう。
今日たまたま会社で同じフロアにいる人たちと一緒にランチを取った。そのとき、日本語で「グーテン・アペティート」はなんて言うの?という話になった。それで、「いただきますって言うけど、これはいろんなところにある命をいただくっていう意味なんだよ」と説明をしたのだけれど、偶然、昨日の夕食時、私は夫にもその話をしていた。人が作ったものを(連続して)残すなんて失礼だし、天から恵まれた、そして農家の人たちが一生懸命作ったものを残して捨てることはあまり好きじゃない、と。そしたら夫は「お前だって、よく肉を残すじゃないか」と反論。確かに私は血の滴るステーキはあまり好きじゃないし、どちらにしたって肉食獣の夫が私の分も食べたいのはわかっているから、いつも最後に残して夫にあげるのだ。残して捨てるわけじゃない。
というわけで、いま夫は買い物も自分でして夕食も自分で作っている。…と書いてあげたいけれど、実はあれこれメモした買い物リストを渡しても期待通りに買ってくるとは限らないので、私も買い物に行く。夕方、仕事が終わってから彼が買い物に行くのもたいへんだし、結局、買い物は全部私がすることになった。メニューはといえば、月曜日は冷凍ピザ(久しぶりなので許してあげた)とサラダ(は私が作った)。昨日はシュペッツリ(小麦粉で練ったパスタ)と野菜のグラタン(私もほとんどキッチンにいて助言+サラダ担当)、今日は「昨日みたいな面倒な料理はイヤだ」とのことで、茹でるだけのラビオリ(ソースとサラダは私)。ほとんど「彼が作っている」とはいえないけど、まあ、たまにはこんなのもいっか。
私は普段、毎週1回は和食か中華を作る。でも、夫に任せていたら今週はぜったいに無理。明日は私がギョーザと天津飯を作ろう。そう思ってさっきニラを仕入れてきた。「また料理の味をしめたぞ」という彼の言葉はあまり信用できないけれど、これからもちょくちょくこんな週を設けようかな。
|
|
2008年3月21日
一週間前の今日、突然モグリが逝ってしまった 私たちに「さようなら」も言わずに
嵐は不意に胸にわき立つ 雨が頬を打つ
今朝、私たちを呼ぶモグリの声が聞こえた また胸に嵐が起こる
あっという間の7年と7ヶ月 たくさんの人に愛を分けすぎたの? 私たちの大切なモグリ
もう少し、もう少し 長く一緒にいたかったよ
夫とモグリと、ただ一緒にいるだけで とても幸せだったのだから
愛と笑いと安らぎをたくさんくれたモグリ 今までどうもありがとう
|
|
2008年5月1日
今朝、モグリがいなくなってから初めてモグリの夢を見た。 モグリは数日前にうちに帰ってきていた。 以前とまったく変わらない姿で、元気に藪の中へ飛び込んだり、そこから顔をのぞかせたりしていた。 モグリの毛はやっぱり豊かでスベスベで、私はモグリの背中を撫でながら、 「帰ってきてくれて、とってもうれしいよ」と言った。 とても幸せだった。とても。 そして、そこで目が覚めた。
嵐はまだ胸にわき立つ。 頬を打つ雨はなかなか乾こうとしない。
毎晩、夫とお墓参りに行くのが日課となった
|
|
2008年5月30日
嵐は少しずつ収まりつつある。ときどき、まだ小雨がぱらつくけれど…。 精神的にも物理的にも夫がそばにいてくれること、昼間外に出て仕事をさせてもらっていること、とても、とてもありがたいと思う。そしていろいろな人からの励ましと慰め。
モグリの死を一緒になって泣いて悲しんでくれた人たち、メールで励ましてくれた家族や友人、事故現場に置いたキャンドルに火を灯してくれた人、「事故に遭ったんですってね」と慰めの言葉をかけてくれた、時々バス停で見かけていた女性、モグリの死を聞いたといって励ましの手紙を郵便箱に入れてくれた、ほとんど言葉を交わしたことのない近所の人、最近になって小さなお墓を色とりどりの花で飾ってくれる人…
そして今日、会社からの帰り道にお墓に眼をやると、昨日私が新しく買った鉢植えのほかにもう1つ、立派なガーベラの鉢植えが置かれていた。そして、墓石の前はまたかわいく花でデコレーションされている。いったい誰なんだろう…。
いないとわかっていても、視線はついつい木陰や草むらの中へ動いてしまう。モグリとよく一緒に散歩した場所へはまだ一度も行っていない。あれから夢も見ない。夫のところへは時どき遊びに行っているみたいなのに。もっと元気にならなくちゃ、私のところへは来てくれないのかな。
初めてモグリに会ったとき、私はそのやんちゃそうな眼に一目ぼれした。腕白だけど、ケンカが嫌いで誰とでもけっこう仲良しになる。人間はもちろん犬の友達もいたし、ひょっとしたらハリネズミやキツネとも仲が良かったかも。今ごろは天国で、父や義父や祖父母にかわいがってもらっているんだろうな。
誰か大切な人を突然失った人はみんなそうなるのかもしれないが、モグリを失った直後、私は夫まで失いそうで、とても怖かった。モグリのことを悲しんでばかりいると、「それなら彼を連れてっちゃうぞ」と運命が夫をさらっていってしまうかもしれないと思ったりもした。そして、人生いつ何が起こるかわからないということを全身全霊で感じた。毎晩、2人とも健康で床につけることを本当にありがたいと思うようになった。やりたいこと、誰かにやってあげたいことは今すぐやらないと、もう明日はないかもしれないと思うようになった。
|
|
2008年7月5日
昨日の夜、友達ーというかお姉さんのような人ーのバースデーパーティに行ってきた。私がフリーでいたときはたまに会っていたが、ここ数年は私も忙しくなり、年に一度、このバースデーパーティで会うきりだ。彼女は大手の銀行でバリバリ働いていて出張も多い。一緒にランチしていてもしょっちゅう仕事の電話がかかってくる。すごいなあ。
サハリンで日本人女性を母に生まれ育った彼女は、私から日本語を習うのが夢だと言っていた。でも、めちゃくちゃ忙しい彼女にそんな時間が取れるはずがない。それに私も日本語を教えるなんてちょっと自信がない。こちらが教えてもらいたいくらいなのだから。それはまあいいとして、私が話す日本語を聞いた彼女の長女が日本語に興味を持ち、さっさと日本に留学してもう2年目になる。次女も彼女を訪ねて日本へ行ったことがある。昨日その次女と話をしたら、「京都って鳥肌が立つくらいすごいところ」だと言う。もうすぐまた3週間、姉を訪ねて日本へ行くそうな。
母親と一緒にスイスへやってきたとき、ティーンエイジャーだった次女はなかなかスイスの生活に馴染めなかったようだ。私の友人はよくため息をついていた。そんな次女に私の元ドイツ語の先生のご主人が尋ねた。 「ところで、君は今何をやっているの?」 彼女が答える。 「人生を楽しんでいるんです」
彼女が今、何をやっているのか、私も興味があった。でも、この答えを聞いて、特にそれ以上詮索したい気持ちにならなかった。みんなそれで納得していた。そう、彼女は幸せそうだったし、それでいい。優秀な両親と出来のいい姉を持って、これまでいろいろと悩みごとも多かっただろう。
でも、幸せにはいろんな形がある。最近よくそう考える。いま、幸福に関する本を訳しているせいかもしれない。
|
|
2008年8月28日
最近は朝起きるとまだ暗い。 月曜日の朝は特に、日がどんどん短くなっているのがよくわかる。週末は朝寝坊をするので、起きるとお天道さまはもうすでに空高く上っている。2日のうちにも日は確かに恐ろしいスピードで短くなっているのだ。
会社勤めを始めてから10ヶ月が経とうとしている。モグリが逝ってしまってからももう5ヶ月が過ぎた。この5ヶ月は長かったけど、初めの10ヶ月は短かった。時間の経ち方っていろいろなんだ。
最近、若いメスネコがほぼ毎日といっていいほど遊びに来てくれる。初めのうちはビクビクしていて、好奇心が強いくせにこちらがちょっと動くとさっと逃げてしまっていた。でもいつからか、私たちが無害の人間だということを理解したようで、以前モグリが寝ていた私の事務机の下で休むようになった。長いときには1時間以上も寝ている。のどをゴロゴロ鳴らしながら(モグリはこれをほとんどやらなかった)、私のひざの上に乗ったり机の上をウロウロしたり。でも彼女は、誰かがそこにいないと腰を落ち着けられないようで、私がキッチンにいたり、床に寝転がって体操をしていたりすると、アパートの中を一回りしただけで帰ってしまう。夫は毎日、彼女の訪問を楽しみにしているようだ。
モグリもきっと、こうやっていろんな人に楽しみを与えてあげてたんだろうな。彼女は道路を挟んで向かい側にあるアパートで飼われている猫みたいだから、路上では十分気をつけてもらわなくちゃ。
今週末からオーストラリア以来の長いお休みに入る。モグリが逝ったすぐあとのイースターには、家にいるのが耐えられなかったので2泊くらいでアルザス地方へ行ってきた。あれは正解だったな。今回の旅行は哀しい旅行じゃない。楽しいままで帰ってこられますように。
|
|
2008年9月14日
今日はモグリの6回目の月命日。 一昨日、新しいキャンドルと鉢植えを供えた。サルディニアでの休暇中は、海辺でゴロゴロしていることがほとんどだったので、モグリのことをよく考えた。悲しみが薄れるのと同時に、モグリのことを忘れてしまいそうなのが少し怖い。
スイスのニュースでお伝えしたとおり、今回の休暇のスタートはたいへんだったが、その後はまずまず順調。以前はそれが普通だと思っていたが、最近は事故も病気もなく家に帰ってこられたことをありがたく思う。5年前の休暇では島の南西部を中心に過ごしたので、今回はちょっと奮発して高級リゾート地でもある北東部に腰を落ち着けることにした。が、ここは本当に高級リゾート地であった。私は小瓶のコカコーラやオレンジジュース(搾りたてではない)1本が5ユーロ(約770円)したのにおっどろいたが、そんなものではない。同じホテルに泊まっていたスイス人カップルはエスプレッソ1杯30ユーロ(約4600円)を目撃していたのだ。
私たちのホテルはCala di
Volpeという湾の高台にあり、朝・夕の食事込み。見晴らしのいいレストランで取る夕食はイタリア形式で前菜からデザートまで4皿。どれもおいしかったのだが、いつも同じテーブルに座るよう決められていて、おまけに英語ができるウエイターは一人きり。彼以外はみんな見習いかと思えるほどサービスがつたない。夕食は8時から9時半まで注文できるのだが、10時くらいから子ども向けのお遊戯が大きな音楽とともに階下で始まる。ちょっとうんざり気味だった私たちは、12泊する中で2晩外食した。
近くには有名なPort Cervoの港町や一回り規模が小さいPort Rotondoがある。Port Cervoではたまたまヨットレースの開催中で、夕方ブラブラしに行くとバーにはいろいろな国のセーラーたちがワイワイやっている。たぶん関係者用なのだろうが、ビールをただで配っていたので私たちもちゃっかり恩恵に与った。
今回の休暇で一番楽しみだったのは、5年前にあるレストランで食べてすっかりファンになってしまったBottarga(魚の卵)スパゲティをもう一度食べることだった。ホテルのメニューにはなかったように思うが、お昼に一度、そして最後の夜の外食でもう一度食べることができた。でも、5年前のレストランはかなり良いレストランだったと見え、今回はそれほど感激がなかった。お昼に食べたものはボンゴレ入りで少し生臭いような気がし、そのせいかその後はお腹の調子が下り気味に…。それでも懲りず、最後の夜にもう一度挑戦。これは本当に魚の卵だけが入っていておいしかった。ボンゴレ入りは邪道なのかもね。
|
|
2008年10月18日
先週の水曜日、半年前くらいに引っ越してきたお隣さん夫婦が夕食に招待してくれた。 その前に我が家で、一人暮らしのドイツ人男性とお隣の奥さんだけを招いてBBQをしたことがあり、「次はうちでニカラグア料理をごちそうするわ」ということになっていたのだ。彼女はニカラグアの出身でスイスではイタリア語圏のティチーノやフランス語圏のジュネーブに数年間住んでいたけれど、ドイツ語圏は初めて。まだドイツ語と奮闘中だ(私も人のことは言えないが)。ティチーノ出身のご主人はルアンダの開発援助の仕事に携わっていて、帰省は3ヶ月ごとに数週間。今は帰ってきているので、今度はご主人を交えた同じメンバーでまた夕食をすることになった。 …と私は思っていたのだけど、実は…。
とりあえずこの5人が集まったアペロではご主人が限定販売のシャルドネーを出してくれたが、これが本当においしかった。彼は世界のいろいろな場所へ行っているので、珍しいものをたくさん知っているよう。私はこのチャンスを逃さんとばかりにルアンダについていろいろと質問を連発。ルアンダなんてテレビで見る戦争や難民の映像しか知らないもの。奥さんも彼の滞在先に一度行ったことがあり、二人してすごく美しい場所だと口を揃える。ふ~ん、そうなのか。アフリカはケニアしか知らない、それもホテル周辺しか知らない私には、あまりよく想像することができない。
と、みんなでワイワイやっていたら(ドイツ人男性もティチーノ男性も結構よくしゃべる)、ピンポ~ンとベルが鳴る。よく見たら、ワイングラスも6人分用意されているじゃありませんか。誰が来るんだろう。上階のあまり仲の良くない女性だったらどうしよう…。あ、男性だ。ほっ。 とするのも束の間、それはドイツ人男性の下にやはり一人で住んでいる比較的若い男性だった。彼は朝早く出かけて行くのだけど、そのあとの通路にはタバコ、時には大麻の匂いがプ~ン。それに彼は一度、このドイツ人男性に向かって「このホモ野郎!」と怒鳴ったことがあるのだ。ああ、彼も静かになっちゃった。どうしよう。空気が変わっていく…。引っ越してきたばかりの彼らはそんなこととはつゆ知らず、顔見知りになったみんなを招待してくれたんだ。
つかみ合いのけんかになりませんように…と祈る私の気持ちが通じたのか(そんなことはないと思うけど)、二人は隣同士に座りながら、また食事のテーブルでも向かい合わせに座りながら、結構仲良くやっている。大麻男性はオープンで、2週間前に彼女と別れてしまったことや飲酒運転で捕まったことなどを話す。「今も本当は飲んじゃいけないんだ」といいつつ、おいしい赤ワインやグラッパにどんどん手が出る。3ヶ月に一度アルコールの検査に行かなければならないらしく、そうすると髪の毛を取られて、それでなんと6ヶ月前の飲酒状況までさかのぼって調べられてしまうのだそうだ。ドイツ人男性はそれにかなり驚いたらしく、そのあとはもう何かというと「髪の毛、髪の毛」と騒ぐ。それを見て私たちは大笑い。ワインのボトルが次々に開けられる中、「明日も早いから」と10時ごろに大麻男性が帰った。その後ドイツ人男性は、「あいつはかわいそうなヤツだ。助けてやらなきゃいかんかも」と言い出す。あれ~、前はあんなに文句ばっかり言ってたのに、やっぱり会って話すことの威力ってすごいなあ、と私は感心。
みんな適度に酔った頭で、その後もまだワハハと騒いでいたら、またピンポ~ンとベルが鳴った。今ごろまた来客?でも二人とも心当たりがないようなので、私たちも誰だ誰だとぞろぞろ建物の表玄関まで出て行った(地階なので玄関はすぐそこ)。するとそこに立っていたのはモグリファンだった向かいの建物に住む青年ではないか。どうしたの?と聞くと「…あんまりうるさいから、それを伝えに来た」と言う。でも、そこにまさか私たちもいるなんて思ってもいなかったようで、モグリ青年はちょっと戸惑い気味。夫は「そんなはずないよ~。家の中にいるのに」。でもドイツ人男性が「いや、そうなんだよ。この建物の音って向こうにすごく響くんだよ」と援護。確かにベランダへの扉を開けていたので、そこから私たちの笑い声が響き渡っていたのだろう。主人でもないくせに、夫が「ちょっと入って見てみろって」と青年を隣人宅へ引っ張り込む。
私たち以外に彼を知っている人はいなく、互いに紹介し合って、「まあまあ、座れよ」と今まで大麻男性が座っていた席にモグリ青年を座らせ、ルアンダのバナナ酒やら何やらを勧める。ドイツ人男性はモグリ青年に向かって「お前は勇気があるヤツだ!」と賞賛の言葉を浴びせかけ、彼は彼で「逆ギレしないで普通に対応してもらえばそれでいいんだ」とお酒をグビグビ。そして、私たちはまた騒がしく笑い続けた。あ~あ、ミイラ取りがミイラになってら。
結局、「じゃあ、そろそろ」ということになったのは零時前。なんだか、ソープを見ているような夜だった。あんなに面白い夜になるとは考えてもいなかった。夫はベッドに入ってからも、まだしばらく思い出し笑いをしていたし。あとから、「上階の女性が来ていたら、彼女とも仲良くなれたかもしれない」と少し残念な気がした。
|
|
2008年11月1日
ああ、本の翻訳を進めなくちゃいけないのに、逃避癖は子どもの頃から治らない。3つ子の魂百まで。3つのときから私はいつも逃避していたのかしら。
先週末、突然、夫が「フロレンティーナステーキが食べたい」と言い出した。彼は肉食獣なのだけれど、私は月曜から木曜まではなるべくお肉を使わない料理を心がけ、金曜は魚の日としている。アルコールも週末以外はほとんど飲まない。なので、週末は彼にとって、とってもとってもうれしい日だ。私は血の滴るような肉の塊は苦手。でも、彼はバルコニーのグリルでお肉を焼くというから、私も何か焼けそうなものにしなくちゃなあ。
というわけで、フロレンティーナステーキ用のお肉を売っているお店へ行ったら、このお肉、でかいわでかいわ。厚さは10センチくらいあったのではなかろうか。こんなの食べるの~?
で、私は何にしようかと迷っていたら、ふと仔牛のコトレット(骨付き肉)が目についた。コトレットはスイスでは豚肉が多い。仔牛は珍しいし、今日はひとつ奮発してこれにしよう。…と注文したら、こちらもでかい!ゆうに手のひらくらいはある。それにやっぱりぶ厚い!え~、これを私一人で食べるの~?
フロレンティーナが約500グラム、仔牛のコトレットも450グラムあった。骨や脂肪の分もあるとはいえ、二人で何と1キロもの肉を食べなくちゃならない。考えただけでも憂鬱になった。夕食までに何とかお腹を減らさなくちゃ。 「今日はこのお肉とサラダだけで十分だね」
大きなお肉もあっという間に食べてしまう夫 こんなに大きい肉の塊を食べる日がくるなんて…
これが正解だったらしい。パンも少し食べたけれど、食後のお腹はそれほどパンパンにはならず、ほどよい腹8分目といった感じ。夫は、外側がカリカリに焼け、中はほとんどナマ状態のとろけるようなお肉に大満足。私もちょうどよい具合に焼けた仔牛(どちらかというとウエルダン)に舌鼓。炭火焼の豚肉のコトレットも比較的好きだが、仔牛はやっぱり格段においしい。お肉だけで8000円くらい支払った、これまでの私たちの人生で最も豪華な夜でした。
|