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瑞筆  スイスで綴るエッセイ 2011年編

 

日ごろの生活の中でふと心よぎったこととりとめのないいなどをそのまま書き綴りました

 

 

 

 

2011年12月25

 

1223日から28日まで休暇を取った。23日は夫の誕生日で、夫は今年初めて、会社のみんなにお寿司を持っていくと約束(スイスでは誕生日にケーキやら何やら、みんなに配る習慣がある)。作るのは当然、わたしだ。

 

7時に起きて米をとぎ、ざるにあげて置いておく間にシャワーを浴びる。10人強が何個か食べられるくらいの量というので、1リットル(合で量れる入れ物がない)分のご飯を炊いた。わたしは炊飯器ではなくお鍋でご飯を炊いているが、これだけの量を炊くのは初めてかも……。「中ぱっぱ」の段階で、このことにふと気がついて、ちゃんと炊けるかどうか不安がよぎる。でも、蒸らしたあとにちょっとドキドキしながらふたを開けたら、つやつやのご飯が炊けていた。やっぱり、コシヒカリはつやが違うなあ。

 

にんじん+しいたけ+卵の太巻き、たくあんの細巻き、かっぱ巻き、鉄火巻き、カリフォルニアロール、アナゴと甘えびの握り、おいなりさん……。これだけあれば十分だろう。アナゴは夫が不気味がってあんまり作らなくていいと言う。ナマモノを食べないわたしは、甘エビを調理済みのエビの冷凍と間違えて買ってしまい、ご飯を握ってさあ載せようというときになって初めて気がついた。がが~ん。しかたがないので、ご飯の上に2匹ずつエビを載せ、チャイブで縛り止めた。後でネットで見てみたら、まあこんな感じで食べるらしいので一安心。約3時間でお仕事終了。間に合うかどうか少し心配だったけれど、余裕で終わった。うっふっふ。

 

会社へ持っていく入れ物に入りきらなかった分がたくさんあったので、隣人の1人暮らしのドイツ人男性に少しおすそ分け。残りはわたしのお昼に。なんだか、たくあんばかりがたくさん。おいなりさん1個だけ。太巻きとカリフォルニアロールは端っこの形が崩れたところをお腹の中に片付ける。

 

会社にはまだお寿司を食べたことがないという人もいて、甘エビやアナゴなんかみんな食べてくれるのだろうか、半分以上残って返ってきたらどうしようと不安がまたよぎる。でも、お寿司は大好評だったようで、大安心。よかった。

 

アナゴは冷凍もの、おいなりさんも缶詰と手抜きもいいところだったので、これは日本の食品が好評だったということだ。なんにしても、とにかく人に喜んでもらうということはうれしいもの。

 

で、今日のお昼頃、お隣さんが「入れ物を返しに行くから」と電話をかけてきた(彼はいつもまず最初に電話をかけてからやってくる)。返ってきた入れ物の中には、お寿司の代わりにプラリネがたくさん並んでいるではありませんか!この心遣い、とっても彼らしい。わたしだったらきっと「おいしかったよ、ありがとう」と器だけ返しているに違いない。

 

そうそう、お寿司を持っていったとき「今日は彼の誕生日で……」と説明を始めたら、何と彼の誕生日は12月22日だった。このアパートに住んで13年、初めて知ったこの事実!来年の今ごろは、わたしたちはもうここにはいない。もっと早く知っていたら、一緒ににぎやかにお祝いできたのに。

 

 

2011年12月5

 

美しい、美しいと言い続けた紅葉・黄葉もとうとう終わり。 先週末、ようやく少しお湿りがあり、強い風が葉っぱも枝も種もすべて木から振り落とした。今日は午後から天気が回復するという予報だったけれど、南西の空は暗雲が垂れ込めている。午後4時を過ぎた今も、雨が降ったり止んだり。でももう、スイスの天気予報が当たらないと言って怒ることなぞしません。

 

先週、仕事でスイス有数という大きなクリスマスマーケットへ行ってきた。日ごろ軍隊が使っている敷地が駐車場になっていて、そこからマーケットの入り口までシャトルバスが出ている。すごい。さすが有数だ。ブレムガルテン(Bremgarten)という川沿いの町なのだけれど、旧市街が坂道になっていて、その一帯に無数の屋台が軒を並べている。手作りの、ほかではあまり見かけないような素敵な小物がたくさんあったような気がする。なにせ一応仕事だったので、あまりゆっくりと鑑賞することはできなかった。でも、そろそろ真剣にプレゼントを探さなくちゃいけない時期が迫ってきたのよね。あああ…。

 

そういえば、今朝気がついたことが一つ。クリスマスのイルミネーションを飾る家がやたらと増えた。どこもかしこも、ピカピカチカチカ。そういう我が家も、リビングのベンジャミンに電気をつけてクリスマスツリー代わりにしていた。でもある年、突然豆電球がいくつも切れてしまったのを発見して以来、もうやっていない。単に面倒なだけなのだけど。いろんな行事に参加するのはメリハリがあっていいと思う。うちはやらな過ぎだとも思う。でもなんかこう、今のイルミネーションを見ているとちょっとうんざりするのよね…。

 

 

2011年11月5

 

今年の秋 は本当に美しい。何度言っても言い足りないくらい。高さ1000メートルくらいに広がる霧も昼間に晴れることが多く、澄み渡った青空がどこまでも高く続く。暖かい気候が続き、雨や風が少ないせいか、木々の黄葉・紅葉が例年になく美しい。もう日本の紅葉を長年見ていないせいもあるのかもしれないけれど、どこを歩いても木々の彩りが目を、心を楽しませてくれる。

 

少し前、日本の新聞で種無しフルーツが今、日本で人気だと読んだ。単に食べやすいからだ。確かに種があると芯を取ったり、種だけ吐き出したりしなくちゃいけないから面倒だ。ぶどうなんかは特に。こちらの人はバリバリ種も一緒に食べてしまうけれど。

 

でも思った。最近の子どもが切り身の魚しか知らないように、種無しフルーツが出回りすぎたら、それぞれの果実がどんな形の種から生るのか知らなくなる人間が増えるだろう。それってやっぱり寂しいことじゃない?林檎だって柿だって、種を植えれば芽が出る。そういう当たり前のことが姿を消していくのだ。

 

こちらではサクランボの種をどれだけ遠くまで飛ばせるかという、サクランボの種飛ばし大会が毎年開かれている。どの州だったかなぁ。私は幼い頃、真珠養殖工場の庭にあったちょっと酸っぱいユスラウメ(と私たちは呼んでいた)を姉と一緒にたくさんほおばり、その種を海に向かってぷぷぷぷっと飛ばしたりした。たわいもないことだけれど、今でも覚えている。こういうのって、子どもには楽しいことだと思うんだけど。サクランボの種飛ばし大会ではいい大人だって一生懸命種を飛ばしている。

 

種無しフルーツをお行儀よくいただくのもいいけれど、もっとワイルドに食べてもいいんじゃないのかなあ。

 

 

2011年10月22

 

夏はもう完全に終わり…と書いたあと、再び好天が続くようになった。さすがに気温20度とはいかないけれど、陽が差すとかなり暖かい。例年のごとく、夏が終わって1000メートル前後の上空に霧が出るようになり、その霧雲の上はさんさんと陽が差しているのに、地上は暗く寒い日も出てきた。でも、その霧も晴れることが多く、全体的に今年はとってもいい秋だ。

 

今年の夏はほとんど湖で泳げなかった。再びプールへ通うようになったが、最近は泳いだあとの心地よい疲れのほかに、楽しみがもう1つ増えた。

 

あれは春だったか…。泳いだあとはバスを乗り継いで家に帰っていたのだけれど、ふと、待ち時間が長かったことと天気が良かったことから、ちょっと歩いてみようかな、という気になった。いつもはバスが来るまでベンチで新聞を読む。それも1つの貴重な時間だったのだけれど、バスだと大回りして家に帰ることになる。「きっと、あの野原を突っ切ればそんなに遠くないはず」。こうして見つけた野の小道、初めて歩いたその日から大のお気に入りになった。

 

スニーカーなどかかとの低い靴を履いて、高台に広がる野原の遊歩道を歩く。砂利が敷かれていて、一足運ぶごとに「じゃり、じゃり」と気持ちのいい音がする。泳いで疲れているので、足取りもゆっくり。仕事が終わったあと、駅に向かう急ぎ足より倍くらい遅いのではなかろうか。右手にチューリヒ湖を見下ろし、左手の花畑で季節の花を楽しむ。この花畑は自分で好きなものを切ってお金を置いていくシステムだ。

 

この辺りは犬の散歩コースにもなっていて、犬を連れた(特に)女性を必ず見かける。牛もいる。カラスもいる。小川もゴニョゴニョ、ポコポコと流れている。

 

秋になって初めて気がついたのは、クルミの木もあるということ。下を向いて歩きながら何かを探している人を何人か見かけた。持っている袋には硬そうなゴルフボールくらいのものがたくさん入っている。なんだろう???考えながら歩いていたら、つぶれたクルミが1つ落ちているのを見つけた。へぇ~、こんな近くにクルミの木があったなんて!

 

野原を下り、森の端っこをずんずん下っていくと、家の裏を走っている道路に突き当たる。ここからは舗道。うちまでずっと砂利道でもいいのに。この道を歩けるのもあと1年。ここを歩けなくなるのはずいぶん寂しい。

 

 

2011年10月7

 

夏はもう完全に終わり。一昨日まで日差しの中にいるとまだ汗ばむ陽気だったけど、でももうさすがに10月も1週間が過ぎたものね。そろそろ衣替えをしなくっちゃ。

 

夏、我が家にはいろんな虫たちがやってくる。わたしは害のないものならそのまま放っておく。でも、蜘蛛は苦手。三重の田舎の蜘蛛は異様に大きい。足を入れたら、大人の手を広げたくらいの大きさはある。畳の上に寝ていて、ふっと気がつくとふすまに張り付いた大きな蜘蛛がじっとこちらを見ていた…なんてこともある。そして、その目も光って見えるほど大きいのだ。ああ、不気味。

 

スイスの蜘蛛はそれに比べるとかなり小さい。大きくてもせいぜい足を入れて手のひらほど。それくらいの大きさになるとまだちょっと苦手だが、ちっちゃい蜘蛛はかなり平気になった。それでも触ることはできないけど。部屋の隅によくいるツィマーマン(Zimmermann)と呼ばれる足の細長い蜘蛛も許せる。虫を取ってくれていると思うとそうそう追い出せない。見た目もあまり不気味じゃないし。

 

昨晩の風と雨でいなくなってしまったが、バルコニーにはちょっと派手な、そら豆くらいの大きさの蜘蛛がいた。最初は、昔モグリのお気に入りだった花壇に植えられている背の低い木の間に巣を張っていた。でも、その頃そこにモグリIIがよく座っていて、伸びをしたりして巣を破ってしまった。蜘蛛はどこに行ったのかわからなくなっていたけど、翌日また同じところに巣を作っていた。でもその日、またモグリIIがやっぱりその巣をしっぽで破ってしまい、私は嫌いながらも蜘蛛に同情。その翌日、木の間の破れた巣はそのままだった。蜘蛛はモグリIIの体にひっついたまま、どこかへ行っちゃったのかなぁ、と思いきや、バルコニーの反対側、右端に新しい巣を構えているではありませんか。ははぁ、蜘蛛って賢いんだ。2回同じ目にあったらもうそれはしない。知らなかった。夏のバルコニーは学習の場です。

 

 

2011年9月17

 

少し遅めの夏休み、ときに40度を超すこともあった南スペインはアンダルシアで10日間ぼ~っと過ごしてきた。ポルトガルとの国境に近いウエルヴァ地方は西側に比べると観光地が少なく、景勝地もあまりない。一番面白いのはウエルヴァ市の西側に広がる国立公園ドニャーナの辺り。湿地帯だが、夏はからからに乾いていて馬がたくさん放牧されている。

 

ドニャーナ公園の北の始まりにあるのがエル・ロシオ(El Rocio)。この辺は前回の旅行でも訪れた。初めて行ったときまるでウエスタン映画の舞台のようだと思った。教会があるだけの町で、年に一度、大勢の人が訪れる。そのために教会の周りには宿屋と飲食店、みやげ物屋が舗装されていないひろ~い敷地に並んでいる。でも、それだけ。

 

この自然保護地域でも泳ぐことはできる。

 

幹線道路沿いにある駐車場に車を停めて(1日2ユーロ)、徒歩でてくてくと野を越えること約20分。40度近い気温の中、パラソルやビーチタオルなどの荷物を持って坂道を歩くのはちょっとたいへんだけど、その甲斐あってビーチは人影少なくのんびりと過ごせる。小さなレストランもあって、魚貝類のから揚げなどが美味。春に行った南ポルトガルのアルガルヴェと同じように、ここも丸い形の松の木が多い。落ちた松葉がいい香りを放っている。

 

毎日いい天気で、楽しみだったガスパチョを思う存分いただき、魚貝類をたくさん食べた。宿泊していたホテルIsla Cristina Palaceには何と日本人コックさんがいて、月曜日以外は毎晩お寿司や肉じゃが、インド料理、中華などのアジア食をビュッフェで作ってくれた。ほかの洋食は特にスペイン料理というわけではなかったので、わたしは毎日アジア食ばかり。スペインでこんな夕食を取れるとは!コックさんによると、お客さんにはドイツ人が多く、お寿司が喜ばれているとか。日本人はほとんど来ないらしく、「久しぶりに日本語を話しました」といろいろとおしゃべり。

 

この辺りはまた、ボンゴレがたくさん採れるよう。水の中に腰くらいまでつかって、見たことのない用具を使ってアサリを採っている人をあちこちで見かけた。ビーチにもアサリの貝殻が帯状に打ち上げられている。でも、アサリも名物であることに気がついたのが遅すぎて食べ損ねた。悔しいので、うちに帰ってお隣さんといっしょに夕食を取ったときにアサリのワイン蒸しをしてひとまず満足。実家でもアサリをよく掘りに行ったけど、春だけ。イタリアやスペインでは年中取れるのかしら?この辺りの一番人気はから揚げ。Choco Fritoという小さいイカのから揚げのほか、カレー味にした魚の切り身、イワシのから揚げもある。ビーチで食べる魚介類はやっぱりさいこーです。

 

 

2011年9月4

 

初夏、バルコニーに花を植えたとき、黄色い花(黄色い花はもちろん無数にあるけれど、残念ながら花の名前はわからず。7月3日に写真掲載)と同じプランターに小さな紫色の花をつける植物を植えた。 別のプランターには同じ黄色い花とマーガレットの小型版を植えた。数日後、黄色い花は威勢よく咲き誇っているのだが、別の2つの植物は元気がなくなり、花もほとんど咲かせない。マーガレット小型版の一つは枯れてしまった。

 

数週間後、黄色い花は咲くだけ咲いてその命を全うしたようだったので、別の花に植え替えることにした。なぜか黄色い花にまた手が伸びて、ちょっとキンセンカに似た花を購入。これを機に、元気がなくなっていたムラサキ花とマーガレットを1つずつ別の鉢に植え替えた。そうしたら、この2つの花は見る見る元気を取り戻してたくさん花を咲かせた。

 

相性の悪い植物ってある。香草でも確か、パセリの隣にバジリコは植えない方がいいとかあったはず。そして、これは人間にも当てはまると思う。相性の悪い人のそばにいては、開花するはずの才能も花開かず終わってしまう。相性の悪い環境の中でクサってしまうこともある。それを見分け、適切な判断をするのは簡単なことではない。でも、それは人生の大きな転機となるはずだ。                 

 

 

2011年9月3

 

8月最後の土曜日、ザンクトガレンで初めてお寿司教室のお手伝いをした。これまで2回、チューリヒのろう者センターで行われた「お寿司の夕べ」で30人分くらいのお寿司を作るお手伝いをしたが、作り方を教えるのは初めて。6人の女性が参加して、みんなでワイワイ(参加者の1人を除き、全員がろう者だったけどにぎやかだった)お寿司を作った。

 

寿司作りの経験のある人はひとりもおらず、巻き寿司は力の入れどころがわからずにぺしゃんこになったり。面白いと思ったのは、このお寿司シリーズではいつも計画通りに進まないこと。作業手順や巻き寿司の中身をきちんと紙に書いて決めている割には、全然その通りに行かない。

 

この日も3時開始で6時にはみんなで作ったものを食べ始める予定だったけれど、どんどんずれ込む。で、わたしが提案。「3人、わたしと一緒にカリフォルニアロールを作り、別の3人はルエディが握り寿司を教える。しばらくしたら交代しよう」。チューリヒの自助団体の代表を務めるルエディは「お寿司の夕べ」の企画実行者だ。お寿司はもう何度も作っている。「おお、それはいいアイデアだ。そうしようそうしよう」という舌の根も乾かないうちに、なぜかカリフォルニアロールの作り方を見せる私の周りには6人が全員集まる。あれあれ。

 

こうして予定はどんどんずれ込み、ようやく食事となったのは7時半。9時には帰りたいねと言っていたけれど、この調子ではまず無理だ。でも、みんな「おいしいおいしい」と自分たちで作ったお寿司をほおばる。作りすぎてたくさん余ったけれど、みんなで分けて持ち帰ることにしたらすべてなくなった。すばらしいぃぃ。

 

9時ごろに始めたキッチンの後片付けも、参加者が女性ばかりだったおかげでささささっと終わった。みんな手際がすごくいい。ルエディも額に汗して床を拭いていた。

 

結局つぶあんかけアイスのデザートを出し忘れた(いつも何か忘れる)けど、みんな満足そうに「次は10月ね!」などと言っている。ルエディは「しばらくはいい…」。私ももうちょっと休憩したい。家に着いたのは午前零時。ほぼ12時間労働だった。

 

この日は思いがけず、チューリヒのほかのろう者とも久しぶりに再会した。ルエディとの待ち合わせ場所に行く電車に乗るためにチューリヒ中央駅へ行ったら、手話をしている人たちがいる。誰かな、知っている人かな?と思ってよく見ると、以前、ろうの高齢者たちの夏休み休暇の付き添いで一緒だったクリスティーネだった。わ~、久しぶり~と駆け寄った。向こうも驚いて、久しぶりの情報交換。これからやはり夏期休暇へ行くところだと言う。

 

しばらくすると、その責任者のウルズラがやってきた。あ、メガネが変わった。出発時間が迫っていたのであまりおしゃべりできなかったが、数日後にティチーノから絵葉書が舞い込んだ。差出人はウルズラとクリスティーネ。彼女たちらしい!クリスティーネに名刺を渡したので、絵葉書出そうよ、ということになったのだろう。葉書を見ながら、その光景が目に浮かんだ。

 

 

2011年8月25

 

8月も末に近づいて、ようやく夏らしい気候になった。素麺やざるそばがおいしい。でも、これもあと数日、いや明日で終わりかも。

 

今年、湖で泳いだのは4回のみ。先週からやっと、だ。先週末は2日とも暑く、日曜日は私たちが大好きな山間の湖クレーンタール湖へ行くことができた。この湖の水温はかなり低いので、よほど暑い日でないと泳げない。朝ちょっと早起きをして、パン、ビール、ソーセージ、水、果物、新聞、本、そしてエアマットを2つ持っていざグラールス州へ!車でちょうど1時間の距離だ。

 

朝のフルーツを食べ、ひと泳ぎしたらもう「お腹が空いた」とBBQの火を起こす夫

朝10時ごろに湖に着いたが、道路沿いのあちこちにもうたくさん車が並んでいる。私たちのスポットは、道路から急な崖をずるずると下りたところにある狭いニッチ。でも、マットを2つ並べ、BBQ用の火を起こすには十分なスペースだ。

 

そうそう、今回は初めて日よけのパラソルも持参。気温が30度を超える日には、影があるとやはりありがたい。「やっぱりよかったね~、パラソル買って」と夫と2人でにんまり。湖畔で食べるソーセージの味も格別。

 

4時ごろまで湖畔でのんびりしていたが、この湖に来るようになってから20年、その間に訪問客がとても多くなったことに気がついた。以前は湖の真ん中で泳いでいるのは私たちくらいだったような気がするが、今ではボートも頻繁に通るし、ニッチとニッチの間のほとんど人が座れるか座れないかという岸辺の(それこそ)ニッチにもカップルがいたりする。アイスクリームもボートで売りに来るようになった。岸辺にはビンのかけらなんかも落ちていて、ちょっとびっくり。こんなことは前はなかったと思うんだけどなぁ。

 

帰り道、道路脇には驚くほど多くの車が停まっている。湖の周辺にはレストランが1軒、反対側の端にキャンプ場が1軒あるのみ。たぶんそのほかにトイレの施設はないと思う。これだけ大勢の人間がトイレのない場所に長時間滞在する・・・。う~ん。湖には「クレーンタール湖を美しく」という看板も立っている…。う~ん。

 

でも、水質調査の結果を調べたら、それほど悪くない。ま、あまり深く考えないことにしよう。

 

 

 

2011年8月7

 

昨日は久しぶりの来客だった。夫の元同僚と彼の奥さんで、数ヶ月前に元同僚とばったり街中で会い、数年ぶりに我が家へ来てもらうことになった。

 

彼らは日本語はまったくできないが、2人だけで日本を旅行したことがある。「ハプニングはいろいろとあったけど、嫌な出来事は全然なかった。そんな旅行は後にも先にもこれっきり。みんなすごく親切で、たくさんお世話になった」と2人して口をそろえる。

 

「そんな日本にまだ恩返しをしていない。今回の被災に対し、自分に何ができるだろう」と問われた。一番簡単なのは募金だろう。でも、ちょうどこの日、日本の新聞で「忘れ去られることが一番怖い」と被災者が語っているのを読んだので、それを伝えた。スイスにいる自分たちができることは何か。「キミを通じて、何かできたらいい。ほかにも一緒にやってくれる人は何人かいると思う」と言う。

 

わたしは5月からこのサイトのドイツ語のページで、被災地の状況を少しずつだが伝え続けている。http://www.koyama-luethi.ch/Deutsch/fukushima.htm 

被災や原発事故に関する報道がスイスでもどんどん減っているからだ。「忘れ去られるのが一番怖い」という人々にスイスの有志とともに何ができるか、これから少し考えたい。

 

このページを読んでくださっている方々で、ドイツ語圏の人に何か伝えたいことがある人はぜひご連絡いただきたい。稚拙なドイツ語だが、また読者数もまだまだ少ないが、細く長く日本の状況を伝えていきたいと思っている。

 

 

2011年7月17

 

ネコというのは本当に気まぐれだ。毎日のように遊びに来たかと思うとプッツリ訪問が途絶え、もう二度と姿を現さない。そんな風にしてもう何匹のネコが我が家を出入りしたことか。

 

「みんなどこにいるんだろうね」と夫が寂しがるほど最近はネコの訪問が途絶えていたが、2週間ほど前からモグリによく似たネコが遊びに来るようになった。性格も柔和で何をやっても許してくれそうなネコだ。まだ名前は付けていない。

 

そこにまたボリスが遊びに来るようになった。モグリIIがいても平気。モグリIIもボリスがいても恐れずに遊びに来る。気が合う2人、いや2匹なんだなぁと微笑ましく見ていたら、今日、こんなシーンを目撃。

モグリII(左)はボリスの頭を舐めたりしている。ええっ。これってやっぱり愛情表現よね。モグリとシュールも仲良かったけど、父と子という感じで、頭までは舐めてなかったよなぁ。

 

顔を見ていると、ボリスはメス、モグリIIはオスって感じ。うちは密会の場所になったのかしら。まあ、なんでもいいけど、当分ちょくちょく顔を見せてくれるとうれしいなぁ。

                                       

 

 

 

 

2011年7月3

 

その後、銀行からは何の連絡もない。あの100フランはどこへ消えたんだろう…。いや、未練はありません!

 

気がついたらもう7月。2011年の半分がすでに過ぎ去ってしまったなんて信じられない。先週1週間は日本のニュースのビデオをドイツ語に訳す仕事で時間の見積もりを誤り、毎日会社から帰った後、夕食を除いてベッドに入るまでずっとコンピュータに向かっていた。

 

全体では2週間の時間をもらっていたのだが、英語の同時通訳の声も入っていたので聞き取りにくく、日本語を書き取るのに1週間くらいかかってしまった。それをドイツ語に訳すのにまた1週間。でも、最後の1週間は濃度が非常に濃かった。こんなに仕事をしたのは久しぶり。

 

だいたいいつも余裕を持って仕上げられるのだけれど、今回は6月中の提出という約束で、クライアントに原稿をメールで送ったのが6月30日の夜11時半。相手は別段急いでいる様子ではなかったので、交渉すれば金曜日とか明日の月曜日でもOKになったと思うけど、この週末は少しゆっくりしたかった。先週末もほとんどこの仕事にかかりっきりだったし。金曜日の夜は夕食に赤ワインをいただき、そのあとテレビの前で10時くらいに寝入ってしまった。この2日間でたっぷり睡眠を取ったので元気回復!        バルコニーに植えた黄色い花。ミツバチや蝶々がたくさんやってくる

 

最近は、来年秋に引っ越すアパートの内装を決めるのに少しずつ忙しくなってきた。なかなか楽しい作業だけれど、何しろ予算があまりないので夢からすぐ現実に引き戻されてしまう。先日、電気の配線を決め、バスルームとシャワールーム、キッチンの床に敷くタイルもだいたい決まった。今週はキッチンを見に行く予定。時間はまだたっぷりある。銀行口座と相談して、あれやこれや迷いながらも楽しく決めよう。

 

                                       

 

やっと地下室がふたされ、わがアパートの工事に着工。

完成は来年秋の予定。まだまだ先の話です…

 

 

2011年5月30

 

先週の金曜日、お金を下ろそうとチューリヒ中央駅の地下にあるATMを利用した。機械に近寄ってカードを差し込もうとして「あれっ?」お金が出てくる下のスリットに100フラン札が挟まっている…。

「前の人が忘れたんだ!」

 

お金を下ろそうとして、下ろしたお金を取り忘れる。そんなことがあるの?

あるんです。わたしもやりました。

そのときはわたしの後に誰もいなかったので、しばらくしてからお金を取っていないことに気がついてすぐに窓口へ行ったら、係りの人は少しも怪しまず「あっ、そうですか」とすぐにお金を渡してくれた。数十秒とかたってもお金が取り出されないと、また引っ込むシステムになっているのだろう。

 

他人のお金を発見した金曜日、わたしがATMの5メートル手前くらいにいるときに、前の人がその機械から離れたように記憶している。男性だったと思う。で、すぐにその100フラン紙幣を取り、辺りを見回して「この人かも」と思う2人連れの男性のところへ走った。でも、その青年たちは顔を見合わせて「いや、僕のじゃない」と言う。そこにどやどやと、ほかの連れたちもやってきた。わたしは「わたしたち、みんな正直者だよね~」と言ってその場を離れ、プールへ行くため電車に飛び乗った。

 

電車の中で、たまたま携帯に登録してあった銀行の番号に電話をかける。「こうこう、こんなわけなんですけど、どうすればいいですか?」

「ん~~~。本店ならお金を引き取って、誰のお金か探せるんですけどね。うちではわからないんですよ。貰ってくれてもいいですよ」だって。

 

でも、金曜日に100フランを下ろす人、きっとこのお金が戻ってきたらうれしいと思う。とはいえ、もう電車に乗ってしまったので、月曜日にお金を返しに行くことにした。お金がなくてお腹をすかせた週末になっても、死にはしないだろう。これに懲りて、次からは気をつけるだろうし。

 

というわけで、今日、銀行の本店へ行ってきた。コンピュータで、5月27日12時55分くらいに中央駅Sihlquai出口にあるATMの左側の機械でお金を下ろした人を調べるのかと思ったら、わたしの名前を紙切れに書いて終わり。取り忘れた人が見つかったらお金を返すという。わたしにも何らかの連絡があるらしい。「いまどき、こうやって正直に届けてくれる人は珍しい」と言われた。バカ正直?夫にも最初は馬鹿にされ、あとから「お前の性格、すごいと思っているんだよ」と慰められた。

 

このとき例の100フラン札も銀行に渡したので、「誰も見つからなかったら、あのお金はいったいどこへ行くんだろう」と少々疑問を抱きながらも、気分はさっぱり。次にATMでお金を見つけたときは十数秒待ってみよう。

 

 

2011年5月20

 

プールで泳ぐようになって早や1年。たぶん、去年の今ごろは屋内プールに足を踏み入れてまだびっくりしていただろう。今の時期、人がやたら少ないのだ。ほんの数週間前のイースター休暇の頃は子どもで大賑わいだった。更衣室はひっくり返るような騒ぎ(子どもがいる人にとっては別にたいしたことではないと思うけれど)だったのに、1ヶ月経つか経たないかのうちにひっそり。プールに入っちゃいけない日なのかと思ったくらい。

 

実は、スイスではもうプール開きが済んでいて、湖水浴場や屋外プールも利用できるようになっている。最近は暖かいせいもあって、みんな外で泳いでいるのだ。スイスではちょっと暖かくなったと思うと、すぐに車のほろをはずしたり(2月にオープンカーを見たこともある)、水着姿になったりする。水着姿で芝生に寝転ぶくらいならまだわかるが、気温が20度くらいしかないのに、外のプールで泳いでいる人もいる。げげげっ。私にはとても真似できません。水温が冷たいと息がしにくくて泳げないんだもん。すぐ疲れるし。

 

というわけで、外の子ども用プールや50メートルプールの方が賑やか。今日は私、一時はなんとたった一人で泳いでいた。ああ、さいこ~。背泳ぎしても、後ろを気にする必要まったくなし!ぎざぎざに泳いで人を避けなくてもよし!夏の間もきっとこんな感じなんだろうけど、広々とした湖の方がやっぱり気持ちいいので、多少水が冷たくても気温がもっと上がったらやっぱり湖へ出かけるつもり。楽しみぃ。

 

 

2011年4月27

 

2週間、ポルトガルで休養してきた。休養という言葉がぴったりの休暇だったかもしれない。たくさん寝て、たくさん食べて、たくさん飲んで…。こうやって書くことにもまだ少し罪悪感を感じるけれど、わたしたちはやっぱりわたしたちの生活を続けるしかない。

 

春のポルトガルはお勧めだ。リスボン、世界遺産の村エヴォラ、そして最後に1週間近く南海岸のアルガルヴェに滞在した。ここの海岸線は切り立った崖になっていることで有名だが、春は辺り一帯に野生の花が咲き乱れてとても美しい。海岸近くの高台には自然保護地域になっている場所もあり、そこを歩くとローズマリーのような野生の香草の香りが漂っていて、本当に天国にいるような気分になる。

 

ポルトガルには物乞いをする人が多いと聞いていた。確かにリスボンの町のあちこちで、道路に座り込んで腕を差し出している男女を見かけた。中には体が不自由な人も多かった。でも、一番ショックだったのはアルガルヴェを車で移動中に遭遇した光景だった。

 

   情緒あふれるリスボンの旧市街

滞在していたルシュ(Luz)から最南西のサグレス(Sagres)へ行く途中、工事をしているところが数ヶ所あり、赤信号になると長々と車の行列ができた。そんな行列の右横を松葉杖をついて歩いている男性がいた。松葉杖を抱えた左腕ががたがたと震えている。両足が極端に短く、その長さも違う。足は足首から垂直に出ておらず、歩く度に体を大きく揺らさなければならない。歩くのがとても難儀そうだ。

 

そんな姿を見て、初めは「この人は、こんな体でこんなところを歩いていったいどこへ行こうというのだろう」と思った。でも、しばらくして彼が停車中の車に物乞いをしようとしていることに気がついた。信号の一番手前で止まっている車まで歩いていって、それから後ろへ順番に一台づつ下がっていく。信号が変わるたびに、それを繰り返していたに違いない。でも、助手席の窓ガラスをノックしたりはしない。ただ、帽子か何かを差し出してしばらくそこにとどまっているだけだ。

 

一番前の車は無視。2台目、私たちの前にいたドイツの車はコインをあげた。私たちも1ユーロ差し出した。何か出さずにはいられなかった。でも、いくらあげていいものか判断ができず、手に当たったコインを出した。窓ガラスを半分くらい開けて、彼の帽子の中に入れた。すると彼は顔を上げ、私の目をまっすぐ見て「オブリガード(ありがとう)」と一言、はっきり言った。とても美しい顔だった。年は私と同じくらいか、少し若いかくらいだろう。

 

私はその彼の澄んだ瞳に驚いた。重症の障害を抱え、おそらく国からの援助だけでは食べていけずに物乞いをしなければならない人が、こんなにまっすぐ人の目を見てお礼を言うということに心を動かされた。卑屈さはかけらもなかった。

 

 

 

                     ポルトガルといえばやっぱりタイル芸術。夫は退屈極まりなかったようだが、博物館は見もの 

  

 

 

2011年3月16日

 

春はわたしにとって少しつらい時期だ。 青さを取り戻した芝生の中に水仙の葉っぱが顔を出す頃、決まって亡くなった父のことを思い出す。胃がんを患っていた。やせ細って別人のようになった父の写真。新しい命が吹き出し、暖かい日差しの中で何もかもがウキウキしているように見えるのに、父は今、必死でがんと闘っている。そして、死に向かっている。私はここスイスにいて何もできない。そう思うと、涙を抑えることができなかった。

 

それから20年経った今でも、春になり、空気が明るくなると、父の苦しみを、あのときの悲しみを思い出す。

 

今年の春は…。

日に日に背が伸びる水仙の葉っぱを見るたびに、痛ましい光景がよみがえる。真っ黒な巨大な波が悪魔のマントのように東北地方に覆いかぶさる。懐かしい日本の家屋が建ち並ぶ一帯が、ぐしゃぐしゃになって押し流されていく。そして、もうあきらめざるを得ないのか、次から次へと不気味な白い水蒸気を吹き上げる原発。

 

もう見ないほうがいいと思いながらも、やっぱり気になってネットのNHKニュースを追う。新しいニュースに一喜一憂しながら過ごす毎日。いいようのない不安の中で、不自由という言葉では足りない避難生活を送っている大勢の人。それでも淡々と、泣き叫ぶこともなく、互いに支えあって生きている。なんという国民だ、と思う。今のわたしには少しばかりのお金を寄付することしかできない。

 

ドイツの民法ニュース局N-TVはずっと日本の状況を追っているけれど、とても悲観的でとても誇張した表現でテロップを流している。それを見た人はすごくネガティブに話をしてくる。スイスの国営テレビはまだ客観的だし、ゲストの専門家も「最悪の事態を避けられるよう願う」などと締めくくったりして好感が持てる。これだけの大災害はそれだけでセンセーショナルなのだから、視聴者の感情を煽るような表現は避けて欲しい。

                                          

 

 

2011年2月19日

 

最近は割合暖かい日が続いている。 花粉が飛び始めたと見え、わたしの目や鼻が反応し出した。鳥の鳴き声もたくさん聞こえてくるようになり、うれしいけれどつらくもある時期がまたやってきた。

 

先日、電車の中で目の不自由な女性を見かけた。盲導犬を連れていて、どうやら私と同じ駅で下車するもよう。「何かお手伝いできますか?」と声をかけると、こちらを向いてにこっと笑い、「いいえ、ありがとう。1人で大丈夫です」とおっしゃる。私は反射的に笑顔でうなずいて先に電車を降りた。

 

そのあとで「ああ、しまった」と思った。どうして「わかりました。じゃあ、よい一日を」とでも言わなかったのだろうと後悔した。彼女が私のほうを向いて話したので、私の顔を見ている気になり、彼女の言葉に無言で反応してしまったのだ。私の顔は彼女にはぼんやりと見えていたかもしれないし、まったく見えていなかったかもしれない。自分から声をかけておいて、無言で去ってしまうなんて、なんて失礼な行動だろう。そのあと、しばらく落ち込んだ。

                                          

 

 

2011年1月23日

 

やっと願いが叶った。スイスの国境近くのロイテ(Reuthe)の谷にあるホテル「Bad Reuthe」http://www.badreuthe.at/に5年ぶりに宿泊することができたのだ。ここは4つ星ウェルネスホテル。私たちにはちょっと贅沢すぎるかもしれないが、以前、盲ろうの女性の付き添いで訪れ、食事がおいしく、みんな親切だったのですごく気に入ったホテルだ。以来、温かい水に浸っているのが大好きな夫も一度ぜひ連れてきてあげたいと思っていた。

 

今年はわたしの誕生日がちょうど週末に当たったこともあり、2人して月曜日に有休を取って2泊3日でロイテに滞在。わたしがずっと「食事がとってもおいしかった」とか「サラダビュッフェが最高」とか言い続けていたので、夫の期待は膨らむばかり。わたしはだんだん「期待はずれでがっくりしたら、いや、それどころか怒り出したらどうしよう」と不安になったほど。

 

結果から言えば、夫はサウナにも蒸気風呂にも、食事にも満足。ああ、よかった。わたしも変わらずおいしいサラダビュッフェににんまり。誕生日の朝食のテーブルにはプロセッコの小瓶を発見して、初めて朝食にアルコールをいただいた。

ここのサウナ・蒸気風呂は全裸の混浴。スイスのウェルネスもだいたいどこでもそうだと思う。もう10年も前になるかもしれないが、義妹たちが入場券をプレゼントしてくれたウェルネス施設でサウナに入ったときもやっぱり全裸の混浴で、中はまあいいとして、サウナから出てくると、目の前にタオルで体をくるみ、足浴をしている若者(がほとんどだったと記憶している)がずらずらずらっと並んでいて、サウナから出てくる真っ裸の人をじろじろと眺めている。それがすご~くいやな感じで、以来、わたしはサウナを敬遠していた。

 

でも、ここの全裸コーナーはそんな作りではなく、たまたまそれほど混雑もしていなかったので、3日間思う存分ウェルネスを楽しんだ。近くにある湿原で取れる泥のパックや薬草風呂などもあるが、わたしは背中のマッサージだけしてもらった。そのときにマッサージ師の若いお姉さんから「お客さんの8割はスイスからなのよ」と聞き、びっくり。確かにチューリヒから車でたったの2時間だし、今はユーロも安い。ホテルに着いたとき、駐車場にスイスの車がたくさんあるなあと思ったが、それもそのはず。口コミで評判が広まったそうだ。

 

 

  ホテルの部屋から見る夕景  

 

わたしたちが泊まった部屋は一番安い部屋だったので、夫は「これが4つ星かぁ?」とちょっと不満げだったけれど、3食付で1人1泊約95ユーロだったのだから文句は言えまい。すぐ目の前にカントリースキーのコースがあり、スキー場も近い。利用客はお年寄りばかりではなく(彼らは仲間の男女で来て、みんなで仲良く真っ裸でサウナや蒸気風呂に入ってました。オドロキ)、若者も多い。いつかまたぜひ訪れたいホテルですね。                                                    

 

 

                                   一日中日が当たらない場所なので、木々は凍りついている

 

 

2011年1月1

 

新しい年が明けたばかりだというのに、やたらと救急車のサイレンが聞こえる。元旦からたいへんだなあ。

 

我が家は何事もなく、いつも通り年を越した。大晦日は、私の娘といってもおかしくない若いバレエダンサーの卵を迎えてチーズフォンデュをし、新年を迎えたのは彼女の小さな自宅だった。チューリヒ市内の高台に建つアパートの窓から花火が見えた。彼女は2月にバーゼルに引っ越す。本当にたまにしかうちに呼べなかったけど、バーゼルへ引っ越してからもまた時々遊びに来てもらいたい。食欲旺盛で何でもおいしいと食べてくれる人を見ているのは、やっぱり気持ちのいいものだ。ダンサーを目指す彼女にとっては、食べたあとがたいへんだろうけど。

 

家に帰ってベッドに入ったのは1時半ごろ。今朝、目が覚めたらもう10時半だった。でも、いいや。今日はゆっくりしよう。元旦だもの。

 

毎月書いてきたNHKの連載ももう終わり。最後の原稿を出したから、来週早々校正が返ってくるだろう。1年間、けっこうたいへんだったけど、勉強になった。編集部のみなさんの真摯な姿勢がうかがえた。私の連載を楽しみにしてくれている人がいることを知って、とても、とてもうれしかった。

 

今年はどんな年になるだろう。自分も周りの人も心身ともに健康で、たくさん笑える年になりますように。

 

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